京つう

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2007年07月31日

畳の目の数

皆さんのお宅には畳がありますか?
あると答えたあなた、その畳の「目の数」を数えたことがありますか?
さらにあると答えたあなたはきっと、「変わり者」か「茶道」をされているのでは?

「変わり者」とは冗談ですが、茶道をされている方なら「あぁ、そんな話か」と
思われているかもしれませんね。

厳密にいうと、畳の目とは、畳表のいぐさが詰まっている部分を指し、
こんもり膨らんでいる部分を「山」といいます。
けれど、「目の数」を数える時は目と目の間、つまり「山」の数を「目数」にします。

なんだかよくわかりませんね。
あまり記事の内容と関係ありませんから飛ばしましょう。

で、当然私も茶事の「お勉強」(?)をするまでは畳の目の数が決められているとは
思いもしませんでした。

だって畳の目の数ですよ。(こういう言い方は畳屋さんに怒られそうですね)
誰がそんなの気にするの?って。

でも茶道の世界ではとっても大切なこと。

お茶事ではいろいろな茶道具が使われますが、
これらはテキトーに置かれているのではなく(当然ですね)、
京間の場合は畳の半畳を6×6の格子状に分割した線を想定して配置が決められています。
これを畳の曲割り(かねわり)と言うそうです。
(「茶室建築の実際」理工学社より)

流派やお点前、畳の種類によっても違うのでしょうけど、
当時は「へぇー」と感心したものです。

ですから、茶道を学ぶ時、初心者は畳の目を数えながら道具を置く練習をするそうです。

これを知った私はシッタカブリをしようと実家に帰った際、
「うちにも炉が切ってあるけど・・・」なんて切りだし、目の数の重要性と説くと、
「そんなことも知らなかったの?」と言わんばかりに軽く流され、さらに
「京間じゃないけど畳屋さんがちゃんとしてくれたから助かったわ」と
そんなふうなことで撃沈しました。

あ、肝心の「畳の目の数」を書いてませんでしたね。
京間の場合、畳縁と畳縁の間が63目になってるそうです。
早速我が家の畳で数えてみると、62.5でした。

0.5って何?!

いやいや調べるとこの半端にも「小切目」という、
しっかりした名前がついてあるのでした。
うーむ、深い。

うちも数えてみようと思ったあなた、50ちょっとしかなくて
「うちは京間じゃなかったんだ」なんてがっかりしないでくださいね。
今はその方が普通です。
あと、同じ部屋でも畳の寸法はそれぞれ違うもの。
バラバラじゃないの!なんて、売り主にクレームなんて言っちゃぁダメですよ。

「じゅうたんの目」はどうなの?
  


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2007年07月30日

落語で

この京つうサイトにあるブログ「コラム4054」で、
大変力強く、おもしろい記事が出ていました。
その記事は7月27日付、タイトルは「落語は世界を救うのか」。

今日はそのことについて書こうと思いますので、
お手数でも、まずはそちらを読んでいただきたいと思います。

読まれてなお私の記事を読んでやろうという、ありがたい方は、下にある「続きを読む」
をクリックして、本文へお入り下さい。
(あ、「そんなの面倒よ」と言われる方はそのまま読んでいただいて結構なのですが、 ちょっとわかりにくいかも。その時はごめんなさい。)  続きを読む


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2007年07月29日

萌えぇー?

昨日の予告通りメイドカフェの話。

つい先日、大変お世話になっている方にお誘いいただき、
食事会へ参加させていただきました。
言っときますが、これは中華料理屋さんで、メイドカフェではありません。
私を含め6人程がひとかたまりのテーブルでした。

で、何のきっかけか、メイドカフェ(メイド喫茶?)に行ったことがあるか、
という問いに6人中、2人が興味本位で行ったことがあると。
場所は秋葉原。メッカですよね。
知らない世界だけに興味津々。

で、何が驚いたって、メニューは一応喫茶店なので
普通にひと通りあるのですが、そこはメイド喫茶。
それなりのオプションが設定されている。そのひとつが、
「ふーふーあーん」500円
なんのことだかわかります?

つまり、オムライスなんかの「お食事」にこれをつけると、
メイドさんがスプーンにのったオムライスを「ふーふー」と冷まし、
「あーん」といって口に運んでくれる。

しかも1回だけ!

この喫茶店にかよわれている方は「なんだ、そんなこと?」かもしれませんが
かなり衝撃的な(?!)オプションメニューでした。

ちなみに、はじめからセットになってたりもするそうです。つまり、
「オムライス ふーふーあーんセット」
といった具合です。
なんと言えばいいのか。

さらにもう一つ、奇妙な話。

そのメイド喫茶の内装が、「小学校の教室風」になっていたと言うのです。
机とイスも小学校で使っていたもの。なのに店員さんは例のメイドさんの格好。
さすがに黒板はあったのかとか、机の配置は?なんて聞けませんでしたが、
なんで?なんかおかしくない?

で、せっかくなのでこのあたりのことを明快に解き明かしてくれる本を
紹介しておきます。

「動物化するポストモダン 東浩紀(講談社現代新書)」

オタク系文化の構造にはポストモダンの本質がよく現れているという、
そんなふうなことを解明してくれる、すごい本です。
おもしろいですよ。

けれど、建築の世界にも学校教室セットという「萌え要素」があったとは!
うーん、近すぎて気付かないとはこのことですね。

(お口直し(?)にきれいなお花を・・・。)
  


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2007年07月28日

エコブーム

エコロジー、エコ、エコ。
テレビをつけると必ず聞きますね。
私自身にはこの、テレビで聞く「エコ」の響きの中に「大企業 大もうけ戦略」的な
ものを感じるので、あまり耳障りのいい響きではありません。

あっ、エコロジーがダメなんていってませんよ!
人間は地球を使わないと生きていけない訳ですから、
その使い方を考えようというのは、まったくもって同感です。

でも28度設定とはいえ、今もこうしてクーラーかけてる訳ですから
説得力はありませんね。

で、一方、「ロハス」ってよく聞きましたけど、
今はあんまり聞きませんね。(わたしだけ?)

人の健康と地球の持続可能性を追究(?)しようとか、
たしかそんなふうなことだったと思います。

でも考えてみたら、健康な生活を送るためには、人に合わせた「環境」を
つくらないといけないし、途上国の人が40億人もいることを思えば
持続可能どころか十分使いきってしまいそうな感じ。
あくまで先進国のたわごとということでしょうか?
(あ、こういう話題で、根拠のない「ふんいき発言」はよくないですね。)

まぁ「エコ」なり「ロハス」なり、いずれにせよ本当はいいことしているのに
実は現実を忘れてしまう魔法の言葉のように思いませんか?

ペットボトルの分別回収を徹底するようになって、イメージが上がり、
逆にペットボトルの販売数が以前と比較して7倍になっているという本もありました。
(もちろんペットボトルは石油からつくります。)

なんとなく予感はしていたものの、
これが本当ならなんともやるせない話ですね。

いかん。また暗ーくなってしまいました。
このへんにしておこう。

明日は話題をかえて、明るく、
先輩から聞けた「メイドカフェ」の話を
なんとか「建築」にもっていく予定です。(できるかな?)
こりずに見にきてくださいね。

(大変な苦労をして守られている白川郷。きれいでした。)
  


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2007年07月27日

てへへ。

祝!総アクセス数1000回達成!

うれしいー!(わたしだけ?・・・ですよね。てへへ。)

ブログをされている人はご存知だと思うのですが、
アクセス数は単純にそのブログを見た人の数ではありません。
なんて、知ったかぶりの書き方ですが、なにを隠そう、
京つうのスタッフさんに教えてもらいました。

とはいうものの、毎日だいたい30前後のアクセスがあります。
あっ、だれがアクセスしたかは当然わからないのでご心配なく。

世界規模のインターネットにしては30って少ないんじゃないの?
と思われるかもしれませんが、正直私にはうれしい数字です。
次に何書くかわからないようなブログで、実際よくわからない記事もある中、
根気強く見ていただいている人が毎日推定で20人近くいる。
ブログってすごいですね。一昔前では考えられない。

世界規模とはいえ、
地球を100人の村に例えたらパソコン持ってる人は2人なんですから。
(ご存知「世界がもし100人の村だったら」マガジンハウスより)
なんてね。

で、せっかくなので(?)過去の記事を読み返してみました。
かならず記事の文中に「そんなふうなこと」を使って書いてあるはずなのですが、
32の記事の内、2つほど入っていませんでした。

あれ?そんなの入ってたっけ?って思ってます?

一番多くのアクセスがあった記事は7月13日付けの記事、
「支局長」でアクセス数55。

他の記事の中でも異様なほどダントツでトップです。
なんで?うるめちゃんの写真がかわいいから?

さらに、建築から離れっぱなしで建築と関係ない記事もたくさんありますね。

まあ、塵も積もれば山。意外とたくさん書いてるなぁというのが私の感想です。
そういえば最初に説明していただいた京つうのスタッフさんが、
「やりはじめたらすぐに記事の数が増えて驚きますよ」とか
そんなふうなことを言われてました。

今日から記念にアクセスカウンターを設置して見られる様にしました。
また、更新時間はいつも通り夕方の6時30分。
今後とも宜しくお願いいたします。

(祝いの花火?なんてね。門司港ホテルから偶然見れた花火です。)
  


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2007年07月26日

ご趣味は?


ちょっといいでしょ?この写真。
自画自賛はみっともよくないのですが、写真が趣味の頃撮ったものです。

四万十川を見に行った時の物です。
ROLLEI FREX(ローライフレックス)という2眼のカメラですが、
撮った時の絞りとシャッタースピードは忘れました。(というか控えてません。)

そして今、趣味は?と聞かれると、なんとも困ってしまう。
思い当たるところがない。
こう書くといかにもつまらない人みたいで対外的によくない。

そういえば映画をよくみるなぁ。でも趣味ってほどではない。
本を読むけど、どっちかいうとヒマつぶし。
もちろん写真を撮りに出かけることもなくなった。

そもそも趣味って何?
趣味って、なんとなく定期的で、なんとなく目標があって、
その時は「私、一生これやってるかも」みたいな確信があって、
でも気が付いたら意外とやってない日が続いていて、
「あれ?私の趣味って何?」って
そんなふうなことだと思いません?

あかん。趣味の定義を変えてごまかそうとしている。
この際ちゃんと考えよう。

ベタですが、辞書をひくと「仕事以外でたのしみにしていること」と、
いった感じで出ています。

たのしみにしていること?
ありますよ。
もちろん、次の作品の設計。でもこれは仕事。
でも仕事っていうほどの悲壮感はまったくないから趣味ってことにしとく?
あかん。それはそれでよくない。

うーん手強い。

趣味のある人はこの記事つまんないだろうなぁ。
まぁいっか。
上の写真見たときなんか書けそうな気がしたんだけど。

うわぁっ、ありましたよ、私の趣味!

飼い猫のうるめちゃんと遊ぶこと!

「・・・平凡。」

皆さんご趣味は?  


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2007年07月25日

ナイフ

私はあまり小説を読みませんが、
妻に勧められて一気に読んだものがある。
短編集です。

「ナイフ」重松清 (新潮文庫)

子どものいじめをテーマに、そこに生きる大人や子どもを描いたもの。
こう書くと「重い」小説の様ですが、
読んだ後は、なぜかすっきりと、清らかで、静かに満たされた気分です。
私はテレビや映画でガンガン泣くのですが、同じ様な人、いや、
そうでない人も電車では読まない方がいいかも。
わたしはズタボロに泣きました。

いじめ問題を解決する「短期的な」処方箋、
いわば「すぐ効く薬」というか、そんなふうなことを紹介している本があります。
そんなのあるの?という感じですが、そこにはこう書かれています。

 1.暴力系のいじめに対しては学校内治外法権を廃し、法システムにゆだねる。
  そのうえで、(加害者が生徒である場合も教員である場合も等しく)
  加害者のメンバーシップを停止する。
 2.コミュニケーション操作系のいじめに対しては学級制度を廃止する。
 (「いじめの社会理論」内藤朝雄 柏書房より)

少し難しい言い方ですね。要するにこういうことです。

 1.暴力を見つけたら警察に通報して、退学させる。
 2.しかとや陰口なんかには、クラスや学級会といった、「強制的な」枠を無くしてしまう。

こう書くとにわかには賛成しがたい人もいるのではないでしょうか。

「学校に警察を呼ぶのだけは待って下さい!」と教頭先生に訴える金八先生や、
「おれたち同じクラスなんだから」というセリフは今の学園ものでも見られますものね。

学校は「聖域」というイメージは根強いし、
戦争映画ですら仲間のための死を美化していますものね。

けれどこの著者は学校だけでなく、今の日本を「中間集団全体主義」がはびこる社会
であるという切り口から理論を展開します。

すこし難しい本ですが、わからないところは飛ばしちゃえ!(って、それはあかんか。)
いじめの実例も取り上げながら具体的に説明していますから、一読の価値ありですよ。

ちなみに、始めに紹介した重松さんの小説、
他に、短編集なら「日曜日の夕刊」、長編なら「舞姫通信」も大泣きです。

  


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2007年07月24日

消防署の話

仕事柄、たまに消防署へ打ち合わせにいきます。
設計事務所がなんで消防署に行くのかと思う人もいるでしょう。

いわば事前確認でして、建物に付ける消防用設備の種類や、位置、
火事がおきた時はこの窓から入れます、とか、避難経路はここです、
とか、そんなふうなことをあらかじめ確認しておく訳です。

で、窓口で打ち合わせしている間も、時折、館内に
「隊員の人はどこどこへ出動しなさい」
みたいな緊急放送が入ります。

当然、出動する係の人と、打ち合わせや事務手続きをする係の人は
わかれているのですが、新卒のころ、はじめての消防打ち合わせでこの放送が入った時、
この目の前にいる人は出動しなくていいのだろうかと心配になり、
「明日もう一度来た方がいいでしょうか」
と聞き、恥ずかしい思いをしたことがあります。

建物の僅かな面積の差や、窓の数なんかで付けなければいけない消防用設備が
増えたり減ったりするのですが、ぎりぎりで不要となる設備がある時なんかは、
「法令では確かに不要ですが、つけてもらえませんか?」
と指導(おねがい?)されることもある。

設備はそのままコストへ跳ね返る。
しかも私のお金じゃなく、建築主のお金である。
ましてや、ぎりぎりといっても、「不要」と定められた法文もある。

けれど、新卒の私に先輩が教えてくれたことがある。

「あいつらはほんまに火の中へ入りよる。
 仕事とはいえ、命がけや。しかも人を救うためや。
 多少のことは聞いたれ。」

まったくその通り。
法令は最低の基準。ましてや金額の問題でもない。
もちろん「過剰設計」にはならないように調整しますが
建築主を説得するのも仕事なんだなぁと素朴に感じていたのでした。

事故なんかで、灯油みたいな危険な油が道にこぼれた時なんかも
処理のため出動されるそうです。
たいへんなお仕事ですね。

(話に見合った写真がないので、うるめちゃんでご勘弁を。)
  


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2007年07月23日

息をとめて

「電のヴァリエーション」

これ何のタイトルか知ってます?
正解は、書家 比田井南谷(ヒダイ ナンコク)の作品のタイトルでした。
その世界で知らない人はもぐり(?)という高名な方なのですが、
えー、そんなん知ってる訳ないわぁという声がここまで来そう。
ですよね、たしかに「書」はマイナーな世界かも。

でも「電のヴァリエーション」とは書らしからぬタイトル。
いわば前衛書で、いや現代書?墨象ともいう?言い方はよくわかりませんが、
この作品から、戦後、書の前衛運動の口火が切られたと、
「現代の書芸術ー墨象の世界」(淡交社)に出ていました。

この本是非じっくりと読んで(見て?)みてください。
比べたらアカンとはいえ、最近テレビなんかでたまにやってる
「ちょっとかわった書」みたいなのがとたんに色あせてみえますから。
なんてね。

で、この本の中でおもしろいことを言ってる人がいる。

「制約や拘束のない自由はない。
 それを避け、そこから逃げ出すのでなく、
 その矛盾対立のなかで苦しみ抜く。
 その極限において内からはじけ、底が抜けて、
 内と外とを分けていた枠組が脱げ落ちる。
 内もなく外もなく、内外一つになる。」

「底が抜けて」に一種の開放感(無の境地?)が感じられると思いませんか?
この言葉は書家 森田子龍(モリタ シリュウ)のもの。

建築の世界では、よく概念的に内と外が論じられる。
「外部を内部に取り込んでいる」とか、そんなふうなことです。

でもたいがい、単に窓から景色が見える程度のことだったりする。

そんな中にあって、書の世界では「内も外もなく一つ」の作品が探求されている。
今は亡き森田氏にとって、内と外が何を意味するところかはわかりませんが、
書の世界を超えた言葉のように思えます。

「静かな、うるおいのある空間。厚みと奥行きのある白」

1971年の作品「樹」のページに添えられていた同氏の言葉ですが、
やはり建築が見え隠れしているような。

え?なんで1971年の言葉なのかって?
へへへ、私の生まれた年なのさっ!(あつかましいっ!)

(photo by うるめもどき)
  


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2007年07月22日

嵐電75%

嵐電の「高雄口駅」は約4ヶ月前に「宇多野駅」に名前が変わりました。
何を今頃、と京都の人は思われるかもしれませんが、超ローカル線だけに
意外と知らない人もいる。

京都の人でなければ嵐電(ランデン)自体、知らないという人もいる。
決して恥ずかしいことではありません。
京都に残る路面電車なんですが、
小さな日本の、小さな町の、小さな電車の、小さな無人駅のことですからね。

前置きが長くなりましたが、写真は駅名が変わる前日に撮ったもの。
いわば、「高雄口駅 最後の日」。

どうです!この閑散たる景色!わびさび通り超して無に近い!?
なんて、まぁ、これは冗談ですが、
こうしてひっそりと、誰の記憶にとどまることもなく、
ゆえにその出来事を忘れられるわけでもなく、淡々と変えられた駅名。

最寄り駅だからという訳ではありませんが、好きなんです、この駅。
このひっそり感。でもそこに「ある」という根拠のない安心感。

そこで、忌野清志郎 アルバム「夢助」から「毎日がブランニューデイ」の歌詞を。

「キミと真夜中に話したいろんなこと
 75%は忘れてしまった
 キミと長い間すごしたこの人生
 80%以上は覚えてないかも
 でもいいのさ
 心配ない
 キミがいつも側にいるから毎日が新しい」

なんともかわいくてイカした歌です。
つまるところ、あなたがいる(ある)だけで幸せというものかもしれませんが、
逆に20〜35%は絶対忘れていないという、
そんなふうなことにもとれる。

あれ?これって男の言い分?
女性は100%覚えてないとダメみたいですからねぇ?

  


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2007年07月21日

精霊流し


古い写真が出てきた。これです。

もう随分と前ですが、あるじを失った祖母の家を、老朽化で取り壊す前に撮ったものです。

どうしてこの写真を撮ったのか、うまく説明できませんが、
どこか思い出となった祖父と祖母の生活のにおいを感じたのかもしれません。

伊勢神宮は20年に一回、建替えられる。
これを天皇制の受け継がれ方と似ているとする本がありました。
天皇の肉体は、天皇霊の依代(よりしろ)であるとされ、
儀式によって、代々受け継がれることと似ている、
たしかそんなふうなことでした。(「始源のもどき」鹿島出版会)

私自身、天皇には興味がありませんが、
形がかわっても、まだそこには、かわらない「何か」があるという感覚は
なんとなくわかる。
けれどその「何か」は実は私の中にあるだけかもしれない。

この写真の板の向こうで、おじいちゃんが精霊流しの船の作り方を教えてくれたことを
思い出した。  


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2007年07月20日

テルミン?

ヴァーチュアル・リアリティ(VR)という言葉、覚えてますか?

すっかり聞かなくなりましたけど、
軍事目的でしかなかったVRを一般のユーザーレベルに
引き下げたのがジャロン・ラニアー。
そんなふうなことがどこかに載っていたなぁ。

彼は「VRの父」と呼ばれているそうですが、
おもしろいことを言ってます。
VRがどのようにして生まれたかを聞かれて答えたものですが、

「初めてVRを使った科学者はレオン・テルミン。
 (中略) フライト・シュミレーターは、パイプ・オルガン製作者のリンクが
 最初に開発しました。VRの成長に決定的な貢献を行った人々の多くは、
 楽器をつくろうとしていた人たちだったのです。」

なんで?と思うのですがこの話はここでプツリと終わっています。

レオン・テルミンとはあの変な(?)電子楽器のテルミンですが、
それより、なんで?そこにはどんなドラマが?と、モヤモヤします。
(へへへ、あなたもモヤモヤするでしょう?でもわかりません。ごめんなさい!)

でもどうしてこの言葉、聞かなくなったのですかねぇ。
私の学生の頃は大流行りで、卒業設計も「ヴァーチャルじゃぁ!」とか言って
実際の設計ではなく、「仮想空間」を作ってた人がいたくらいですからね。
(あの人今頃どうしてるかなぁ。)
VRにかわるものが出来た?それとも聞かないだけで淡々と研究は進められて
いるのでしょうか?

なんだか今回の記事はわからんだらけですね。
でもせっかくだからそのドラマ、推理・想像してみては?

この写真、なんか未来的な感じしません?現実の空間ですけど。
  


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2007年07月19日

特殊な教育

吹き抜けを見て何を思いますか?
「広い、大きい、きもちいい」
こんな感じ?

でもそれが、何処のどんな吹き抜けでも感想は
意外と同じって思いません?
家、お店、駅、公共施設、とにかく吹き抜けと出会ったら
「広い、大きい、きもちいい」。

形も大きさもまるで違うはずの吹き抜けですが
感じることが同じって不思議じゃありませんか?

もしかして吹き抜けを「感じて」いるのではなくて、
吹き抜けであることを「確認」しているだけかも。

けれど空間(吹き抜け)を「感じる」というのは意外と難しい。
これについて以前、妻と激論した結果、上手いことを言ってくれた。

「空間」を「空気感」にかえてみたら?

形体ではなく、そこから生まれる目に見えない「空気感」を読む。
うーむ、なるほど。と同時に思い出した言葉。

「僕が音楽に魅せられる理由の一つは、
 それが音でできているにもかかわらず、
 沈黙までも含みこんでいるからだ」

音楽は特殊な教育が必要というE.W.サイードが
単に「音楽」について語った時の言葉ですが、
サイードだけにどこか深く、違う意味にもとれそうですね。

音楽は近づきやすく、けれど理解されない芸術という文脈で
そんなふうなことを語っていたような。

「沈黙」と「空気」がつながって思い出したのかな。
いずれにせよ、建築も、空間を「感じる」ための特殊な教育が必要なのかも?

「吹き抜け」  


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2007年07月18日

私のネタ!

このブログの昨日の記事を読んだ家内が
「これ私がゆうたんやん!」
とクレーム。

カレーのことか?と聞き返すと
「ちがうわ!山田くんの家とサザエさんの家が似てるって
 私がゆうたんやん!」
「・・・」

彼女によると、山田くんの家では前半と後半で下足箱の位置が
反対になっていると指摘。
玄関入って右が真実ならサザエさんちと同じ、そんなふうなことでした。

ちびまるこちゃんのご自宅やクレヨンしんちゃんちの下足箱の位置も
把握していそうな勢いなので、おもわず聞きそうになりましたが、
グッとこらえて、「そうやったかなぁ」と一言。

うーむ、彼女はいつの間にこれほどの建築通(?!)になったのだろうか?

ちなみにうちは入って左です。
  


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2007年07月17日

女は度胸!

スタジオ・ジブリ「となりの山田くん」でのお母さん「まつ子」のセリフ。

「こまったなぁ、今晩のおかず…。
 よっしゃ、思い切って!
 女は度胸や。
 先週もおとといもカレーやったけど、今日こそカレーにしよ!」

私はこのセリフがなぜかとても好きなのですが、
ジブリ作品であっても脚本・監督は高畑勲。

メッセージ性で作品をつくったことはないといいながら、
もののけ姫で「生きろ」と説く宮崎駿より、
「生きる楽しみ」を「適当」(に見える様)に描いた高畑アニメの方が
私は断然いいと思うのですが、残念ながら評判はいまいちらしい。

「人生はそこそこ楽しい、でも世界は無意味だ」というA君と
「世界は無意味だ。でも人生はそこそこ楽しい」というB君。

結局A君は自殺してしまうという、そんなふうなことを
だれかが書いていたことを思い出す。
(「よのなかのルール」藤原和博・宮台真司 ちくま文庫でした。)

あれ?こういう話になる予定じゃなかったんですけど。

いや、となりの山田くんが住んでる家とサザエさんが住んでる家が
なんか似てるなぁ、という多少なりとも建築(?)の話になるはずでした。

まっ、いっか。

我が家の土間には天窓があります。
  


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2007年07月16日

No!

「どうしたら人間らしくなれるかを子供たちに示すのに、
 音楽にまさる方法があるだろうか?」

指揮者 ダニエル・バレンボイムの「音楽と社会」(みすず書房)での言葉。
曰く、音楽は正反対の二つのことに奉仕出来るそうです。

一つは、全てを忘れて、抱える問題から逃れること。
もう一つは、音楽を勉強することで人間性を学ぶこと。

この二つを「正反対」と言ってしまえるところが
なんともすごいですね。
そして、きびしぃー!

作曲家の残した一音一音の意味を問い、それはおのずと人生、ものごと、を
理解することになる。
そんなふうなことだったと思います。

三大巨匠のひとり(?)フルトヴェングラーのリハーサルでの逸話もありました。

「フルトヴェングラーはリハーサルで二百通りもの「ノー」を試みたが、
 それはコンサートの晩にたった一度だけ「イエス」というためだった。」

ちなみに建築ではよっぽど偉くならないかぎりリハーサルはありません。
ましてや、二百の「ノー」なんて現場監督に刺されます。
ですから、図面の段階でいかに完成品を正確に想像出来るかが大事です。

(写真:平井美行 設計:+0 atelier)
  


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2007年07月15日

黄金の緑

久しぶりにCDを買いました。
UAの「黄金の緑」。
詩を読むとタイトルの通り、テーマは地球、環境、平和といった
ところでしょうか。(要約しすぎかな?)

でもそんなテーマは関係なく、いいんですよ。
イイ感じ。
詩は多少直接的でもUAが歌うとめちゃカッコイイ。

せっかくだから「ロハスの矛盾」を書こうかと思ったところ
なんだか嫌なニュースが昨日出てましたね。

「ロシアが欧州通常戦力条約の履行停止を発表、MD背景に」(CNN/AP)

アメリカをにらんだ「政治」だそうですけど、
なんだか単純に怖いと思うのは私だけでしょうか?

最近は精密誘導爆弾でターゲットのみを爆撃するような感じですけど、
調べるとそんな爆弾でも爆心から半径120mは致死率が100%だそうです。(GBU-31)
例えば、野球場のホームベースに落ちたら、センターのバックスクリーンにいる人は
みんな死んでしまうということです。
そんなものを町に落とす訳ですからね。

ネオコンや反戦をうったえるだけの理論はありませんが、
きちんと想像すれば単純にダメといいたくなりますね。

9.11以降発売され、その年、オリコンの上位に入ったアルバムで、
反戦、反アメリカをうたったのは「サザンのクワタ」と「ミスチル」だけだったとか、
そんなふうなことを誰かが調べてましたね。
(まぁ、勝っても負けても「両方 for you」なんてウルフルズが
 甲子園のテーマソングになる日本だからいいのかもしれませんが?)

「誰かの戦争ゲームでは僕らは絶対遊ばない」

これは、アルバム「黄金の緑」から3曲目の詩の一節でした。

(写真:+0 atelier)
  


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2007年07月14日

獣性の美

コヤニスカッティってご存知ですか?

映画というか、映像と音楽だけで出来ていて、とにかく映像作品です。
(そういうの、なんて言うんでしたっけ?最近言葉が出てこない!)

結構みんな知っていて、もちろんDVDレンタルできます。
私もこれが好きで、とにかくかっこいい、と同時に深い!

コヤニスカッティとは
「ホビ族の言葉で“平衡を失った世界”を意味するそうです。(狂った世界?)

で、どんな世界を見せられるかというと、そうです、現代、しかも美しく、淡々と。

監督のゴッドフリー・レジオは
「私たちの目はその文化に制約されている」
とし、さらに
「我々が誇りとしているもの、すなわち、獣性の美」
を表現するとか、そんなふうなことを語っていたような。

建築を含め、とにかく人の営み全てを圧倒的な映像と音楽で見せています。
とはいえ、物語ではないので退屈という方もおられるみたいです。
けれど、あれを見ながら眠るのが真の現代人?

だれか見てませんか?

写真:平井美行 設計:+0 atelier
  


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2007年07月13日

支局長

先日「支局長」という雲の上の様な方と同席させていただく機会を得た。

記事にすることをお断りしていないので「何の」「何処の」支局長かは
ふせますが、10人程の色々な業種の方との食事会でした。
皆さん面白い(!?)方なので、全員を記事にしたいぐらいですが、
印象に残ったのが支局長の言葉。

「同じ仲間同士でなく、異業種間だからこそ、コミュニケーションといえる。」

文芸批評家の柄谷行人が
「他者」と「われわれの言語を理解しない人(外国人)」について語っていたような。

「私自身の“確実性”を失わせる他者」を「教えるー学ぶ」という
コミュニケーションから考察するとか、たしかそんなふうなことだったと思います。

「本当のコミュニケーションとは?」

うーむ、深い。

私自身の“確実性”を回復するための他者(異業種)とのコミュニケーション。

スルドイことをサラッという人がここにいる!
と密かに感動していたのでした。

うーん、またお邪魔したいなぁ。

(先の支局長の言葉は、こちらで勝手に要約させていただいてます。
本意でなければごめんなさい!)  


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2007年07月12日

WWW

読み返していた本の注釈に「WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)」が入っていた。
ホームページのアドレスに入っているあれです。

一体いつの本?と奥付をみると1998年初版。
この頃はまだWWWは一般的ではなかったということでしょうか。
たったの9年前。
(私が27歳。関係ないか。)

ウィリアム・ギブスンの小説で、SF的未来世界にもかかわらず、
主人公の仕事を自転車のバイク便にしていたのがあったような。
どんなにサイバーテクノロジーが進化しても物理的な「物」を運ぶ
作業は逆に残るとか、たしかそんなふうなことを言っていたような。

軍事用の通信でも傍受、妨害のリスクから考えると最後の砦は「有線」に
なるという話もある。

なんともアナログですねぇ。

このインターネットがモールス信号なみに古く見える時がきても
人に住処が必要な限り、アナログな建築は残りそう。

いや待てよさっきの小説で主人公の住処はバラックだったような。
「家」なんて要らない時が来たりして。

うちの「家」のあじさいです。
  


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