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2007年08月31日

広告って。

先日電車に乗って何気なく吊り広告を見ていて
最後に目が止まったのがドアの横にシールで貼られた小さな広告。
「疲れた体にこの一本。○○ドリンク」
名前は忘れましたが、栄養補給ドリンクです。

サラリーマンが寝室のベットに疲れた顔で座っています。
帰ってきたばかりなのか、まだ着替えていません。
傍らで、先に寝ていたのでしょう、寝間着姿のかわいい奥様が
その栄養ドリンクを笑顔で差し出しています。

そんなシチュエーションなのですが、なんとも残酷です。
「大丈夫?明日はお休みにしたら?」
満員電車におしこまれながらこの広告を見ているサラリーマンに必要なのは
栄養ドリンクでなく、この一言なのでは?
と、そんなふうなことを考えてしまったのですが、それでは「広告」になりません。

そういえば最近、「不二家」は例の事件を意識してか、
ずいぶん昔のミルキーのCMを流してますね。
あえて古いCMであることを知らせるためか、画像処理をせず、
古いアニメの感じのまま放映されています。

♫「ミルキーはママの味ー」

思わず、「おお、なつかしい!」と引きつけられます。
最後に「不二家」と社名が出るわけですが、
よく見ると、「新しい不二家へ」と書かれています。
それを見て妻が一言。

「新しい不二家って言うて、古いもん出してるやん。こりてへんな。」

広告って、ホント、難しい世界なのですね。
  


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2007年08月30日

甲子園球場

28日のプロ野球「阪神vs広島」戦、引き分けでしたね。
実は(という程でもないのですが)、あの試合を甲子園球場で見てきました。

たしか、小学生の頃に父に連れて行ってもらって、それ以来初めての甲子園。
小学生の頃は野球自体を楽しめず、「イカ焼き」とかジュースとかをしきりに
ねだって、父を困らせていたのを覚えています。

あの時の「イカ焼き」はまだあるのだろうかとか、
そんなふうなことも思いつつ、いざ球場に入って、ライトスタンドに座ると、
「そんな感傷ええし、早よ応援したって!」
と言わんばかりの声援。すごいの一言。

なんなんですか、あのタイガースファンの盛り上がり。
めちゃめちゃ面白かったです。

例によって7回あたりになると皆がフーセンを膨らませ始めます。
勢いあまって膨らませ過ぎ、フーセンを破裂させる音があちこちで聞こえてきます。
パァーン!
ボン!パァーン!
「よっしゃー、みんなもうちょっと落ち着こー!落ち着いて膨らまそー!」
そんなヤジも聞こえる中でのロケットフーセン。
迫力でした。

こんなエピソードも。
ここ一番で外野フライに倒れた阪神の攻撃。
広島の選手が、その外野フライで捕ったボールをファンサービスのつもりで
ライトスタンドへ投げ入れると、
「そんなもんいらんわいー!」
「返したれー!」
とブーイング。中には、
「100円で売ったれー!」
と、あくまでも大阪人。

今度行く時は必ずメガホンを買おうと心に決めたのでした。

(花火の様に舞うロケットフーセン)

(いつまでもフーセンと手放さない前の席のお子様が
 時折バッターボックスを隠してしまうのでした(笑)。おお!消える魔球!)
  


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2007年08月29日

ユートピア

「ユートピアについて考えるとき、
 私は完璧であるもののことを考えるのではありません。」

リカルド・スコフィディオ(建築家)が「ユートピアとは」という
インタビューに答えた時の言葉です。(Inter Communication No.21より)

あらゆるものが完璧である町は、不幸な人が存在せず、
結果、芸術が存在しないからとか、そんなふうなことでした。

エリザベス・ディラーという人と二人で建築やアートを製作する人なのですが、
完璧な世界でないからこそ芸術があるということになると、なんともフクザツですね。
そこまでの意味を込めた言葉ではないかもしれませんが、考えてしまいます。

逆に、こんなふうに答える人もいます。

「誰もがアーティストになれるところ」
 (ローリー・アンダーソン:パフォーマンス アーティスト)

ユートピアはけっしてやって来ないとしながらも、
誰もが自由に時間を使って自分を表現できるところという意味だそうです。

芸術・アートの成立要件は別として、この二つを見ると
いずれにせよユートピアには芸術が存在するということになりますけど、
皆さんの「ユートピア」ってどんな?

トマス・モアさん、聞きたくないですか?

(photo by うるめもどき)
  


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2007年08月28日

映画の話

久しぶりにレンタルビデオ屋さんへ行くと、
私にはほとんど「新作」状態で随分長く来てなかったことに気付きました。

あれも観たい、これも観たいと手に取りますが、
行った日が日曜日だったこともあり、どれもレンタル中。
そんな中、妻は早々と2本ほど手にしている。
タイトルを見ると、どちらも以前から観ようと決めていたものばかり。
さすが。
1本目はイッセー尾形の「太陽」。
2本目はフジテレビの「にゃんこthe Movie 2」。

「太陽」は物語とはいえ、昭和天皇をあつかった大変興味深い映画。
こういう映画はよく「ホントのとこはどうなの?」といった論争になりがちですが、
描かれている内容の是非を問うのではなく、これをきっかけにもう一度考える映画、
そんなふうなことなのでは?
実際、あの本をもう一回読んでみようとか、あれを調べようとか、
その気にさせるものがありました。

そして「にゃんこthe Movie 2」。
楽しい猫のエピソードに混じって、しっかり「泣ける」話が入れられています。
このあたりのわざとらしい作為性をどうこういうのはやめて、没入しましょう。
泣けます。
そして泣きました。
見ると妻も泣いていました。
泣いているところは違いましたが。

  


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2007年08月27日

地雷

先日、対人地雷禁止条約(オタワ条約)に調印していない国へ、
その調印を呼びかける、いわゆる署名運動に署名を勧められる機会がありました。

それがちょっと変わっていて、蝶々の形をしたカードに
宛先の国名とメッセージを書く欄があって、一言添えて署名するというもの。
宛先をアメリカにするか、中国にするのか、少し迷ってアメリカにするところ
までは良かったのですが、問題はそのメッセージの内容。

調印しないと言ってる国に、調印しましょうねといっても意味が無い。
皆さんならなんて書きます?
さらに、日本語でいいのだろうか?
仮に「いえ、英語で」と言われても書けないので日本語で書きましたが、
この時点で私のカードは意味を失ってしまいました。
まぁ署名運動はその数に意味があるのかもしれませんが・・・。

国連で拒否権を行使できる常任理事国が、武器の製造と販売が最も多い5大国
だと知らないことよりも、疑問に思う相手の言葉を知らない方が、なんだかきついなぁと、
そんなふうなことを考えてしまいました。

ちなみに5大国の内、イギリスとフランスはこの条約に調印しているそうです。
え?日本はって?

日本も調印し、2003年2月までに貯蔵していた地雷を廃棄した批准国だそうです。

これってちょっと、胸張っていいんじゃない?
  


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2007年08月26日

イタチも。

皆さんはちゃんと自動ドア開きますか?

???。
ですから、コンビニでも吉野家でもスーパーでもどこでもいいのですが、
自動ドアの前に立つと、ちゃんとドアが開きますか?

私はあまり開きません。
センサーは私を貫通しているようです。
ドアの前でモジモジしてしまいます。
足ふきマットあれば、そこにスイッチが無いとわかっていても
何度か踏み直すしぐさをする。
開かない。
助けを求めるように店員さんの方を振り向くと、突然開いたりする。

先日は「ここに触れて下さい」方式の自動ドアに何度触れても
開かないことがありました。
このタイプのドアが開かない時はさすがに寒い。

「おれはホントにここにいるのだろうか?」

妻に話すと「あぁ、影がうすいんやなぁ、きっと」と、つぶやかれましたが、
私としては、密かな悩み(?)と言えます。

そういえばよく、家で仕事中にイタチが横切ります。
何度か目を合わさせていただているのですが、ゆうゆうと辺りを物色して、
目の前を横切ります。
「イタチさん、私そんなに存在感ありませんか?」

今度見かけたら思い切っておどかしてやろうと思っています。
ただ、それでもゆうゆうと横切られたらと少し不安です。
だから、おどかすのやめて、きびだんごでも差し出してみようかとか、
そんなふうなことも考えてしまいます。

イタチは自動ドアを開けられるのだろうか?
イタチにだけは開かないでほしい。

(なんのこっちゃ。)
  


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2007年08月25日

最後の一歩

「月面着陸は宇宙征服の最初の一歩ではなく、最後の一歩だった。」
             (ノーマン・スピンラッド:SF作家)

なんとも可笑しいやら、悲しいやら、複雑なお言葉ですね。
「SF作家」ってのがまた、なんとも・・・。

この人によると、昔、こんなプロジェクトがあったそうです。
世界中のSF作家が集まって、あるひとつの未来像を設定する。
その上で、各作家はそれぞれ、その未来像に添う形で小説を書き、
その未来像を現実なものにしてしまうとか、そんなふうなことです。

夢のあるような、ないような、不思議なプロジェクトですが
結局ダメだったんでしょうね。
残念。

2007年になっても、映画に出てくる様な巨大な宇宙ステーションはないですし、
「最後の一歩」なんていいたくなるのもちょっぴりわかります。

子どものころは2000年なんていうと、「鉄腕アトム」のような世界がやってくる
と思ってました。結構本気で。
今の子はあまりそんなこと思わない様なイメージがありますがどうなんでしょうか?
イメージだけかな?

未来像を描かない、これこそ「最後の一歩」かも。
なんてね。

(こうして見ると以外と宇宙船っぽい建物?高知県立坂本龍馬記念館でした)
  


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2007年08月24日

暴動

「永田町の議員200名が集まって、日本のラップのCDを聴き、
 歌詞が「国家の尊厳を侵害している」と法廷に訴える、
 そんな光景を私たちは想像できるだろうか。」
         (「炎に浮かぶ言葉」森千香子 現代思想より)

2006年2月の現代思想 臨時増刊号「フランス暴動」に載せられた記事は
こんな書き出しでした。

もちろん私は「想像」出来ませんでしたが、フランスでの暴動をうけ、
3週間後の2005年11月22日、七つのラップグループに対して、
こんなことが実際にフランスであったそうです。

2003年にはサルコジが、2004年にはドゥヴィルパンがラッパーを起訴してるとか、
そんなふうなことでした。

もちろん、記事の文脈はここで取り上げたような軽い扱いではなく、
批評・論評の中での、きちんとしたものですが、
そりゃ、暴動になるだけの理由はあるわ、などと単純に思ってしまいます。
(あ、日本では暴動なんてならないかも。なんちゃって。)

以前努めていた会社に、研修旅行でオーストラリアへ
つれて行っていただいたことがあります。
先住民のアボリジニは侵略するヨーロッパ人に対して、武器ではなく、
自らの「美術伝統」を用いた「樹皮画」で権利を主張し、抵抗したそうです。
(もちろん結果はついてきませんでしたが・・・。)

これに似て、暴動はおこしたものの、フランスでのラッパーは、
自身の差別的な経験や境遇を「歌い」つづけていたということかもしれませんね。

  


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2007年08月23日

ベネッセ


(Photo by うるめもどき)

写真は、もうずいぶんと前、直島のベネッセハウスへ旅行に行った時のもの。
何しろ美術館に泊まれるとあって、ドキドキしながら行ったものです。
今は随分と有名ですから行かれた方も多いのでは?

今まで行った中で(とはいえ、それほど沢山行ったわけではないのですが)、
私としては3本の指に入ります。
(残りの2本の内、1本は門司港ホテル、もう1本はナイショ。)

なんの本だったか忘れましたが、柄谷行人(だったと思います)が、
美術館にある作品が、作品としてとらえられるのは、入り口に入った瞬間、
自分の中でそういうモードに切り替わるからだとか、そんなふうなことを書かれてたような。

よく駅の構内に設けられたコーナーにかけられた絵や、歩道のオブジェを見ても、
なんだかピンとこないのはそのためか、なんて思うのですが、
それに対して、ベネッセハウスは、そのまったく逆。

つまり、
「日常の中に芸術をいれるのではなく、芸術の中に日常を入れ込んでしまう」
という感じです。
いいんです、これが。

夕食後、いつまでも人のいない美術館で作品を眺めました。
本当の贅沢ってこういうものかも。なんてね。  


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2007年08月22日

古い時計

子どもの頃、お盆はよく母方の祖母の家に遊びに行きました。
今でも家より田んぼの方が若干多いところです。
今なら「のどかでいいなぁ」なんて思えるのですが、
子どもにはとにかく暇ですることがない。

小さなお堂があるのですが、その縁側に座ってボーとする。
出来事としては、セスナ機が飛んで来て、スーパーの安売りを
宣伝しながらゆっくり飛んでいくぐらい。
あまりに時間がゆっくりなのでテレビを付けるが、チャンネルが3つしかなくてすぐに消す。
また縁側に座ってボーとする。

今年は祖母の家を建て替えたこともあり、何年かぶりに数日をその新しい家で過ごしました。

時間の流れ方はまったく変わっていませんでした。
まったく新しい家なのですが、むしろなつかしい感じがする。

気が付くと、祖母の頃から使われてきた古い時計の音だけがする。
これか。と納得した。

そのロシア製の時計は、家が変わろうとも、近くに大きな道路が出来ようとも、
あの頃とかわらない音で時間を見つめている。
子どもの頃の、あのどうしていいかわからない時間が、その音の中に
宿っているような、そんなふうなことを思った夏休みでした。

(気が付くと少し遅れぎみ。この時計のプライドだったりして。)
  


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2007年08月21日

シール

あまり信用できませんから、テレビで見た事をあまり話題にしたくないのですが、
「チャイナ フリー」シールの話、皆さん見ましたか?

アメリカでの話だったと思いますが、中国製品の不具合が問題になってるからといって、
「この製品には中国製のものが入っていませんよ」とわかるように、
「チャイナ フリー」シールを自社の製品に貼るメーカーが出て来たという話です。

個人的には、なんだかちょっと違和感がありますけど、いいのかな?
まぁ、いいという人の方が多いのかな?

ところで、パリ経済社会高等学院教授 マルク・ボッシュという人が、
欧米がひそかに、日本に「植民地化」されているといったことを言われてます。

というのも、欧米の子どもたちはニンテンドー、アニメ、ビデオカメラ、
ノートパソコンなどの「日本のモノ」で取り囲まれた日常を過ごしているから
というわけです。

欧米人にとって植民地化というと、文化や思想による影響については敏感で、
「モノ」による植民地化は意識されないとか、そんなふうなことでした。

この教授、こんな言葉を引用されてます。

「植民地時代の勝者は、敗者の文化にひそかに侵される運命にある」

ユングの言葉だそうです。
なるほどねぇ。

でもね、なるほどなんて言ってられないかも。
この教授の話が本当だとして、
例のシールがきっかけで、もしも欧米の方の意識が変わったとたん、
「ジャパン フリー」なんてシールが出来ちゃったりして。

どうします?なんちゃって。
  


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2007年08月20日

22億ドル

「世界で毎日22億ドルが死の生産に費やされている。」
    (ジャーナリスト:エドゥアルド・ガレアーノ)

どのような計算をしたのかわかりませんが、このジャーナリストによると
世界中で一日に費やされる軍事支出が22億ドルということらしいです。

「毎日」22億っていうのが、訳もわからず怖いですね。しかもドル。

ついこの前のイチローの年俸(約12億。しかしこちらは円)にも驚きましたが、
それと比べるのはちょっと不謹慎かもしれませんね。

先日読んだ本におもしろいことが書かれていました。
9.11以降、テロが「新しい戦争」の形となって、
戦争と日常がきっちりとわけられない。その意味では映画でもなんでも、
戦争を描くことはそのまま日常生活を描くことになるかもしれないとか、
そんなふうなことです。

「戦地からの手紙は文学として高く評価されるけれども、それも戦場と日常のあいだに
 大きな落差があるからです。これがもし、戦場から携帯メールで親に連絡できるように
 なったら、事態は大きく変わる。」(「コンテンツの思想」東浩紀 青土社より)

うーん。なるほど。おぞましい。
内乱状態の国なんかはこれを地でいってるってことでしょうか。

でも戦争が日常に入る様な変化をとげたのなら、
さっきの22億ドルは日常の中にどんな形で入ってくるんですかね。
これまた怖い、こわい。
  


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2007年08月19日

ポケモン

最近のおもちゃってすごいという話。

先日の休み中に会ったお子様が手にしていたのが、ポケモンのおもちゃ。
そのおもちゃはポケモンの怪獣が生まれる(?)前の「たまご」(?)の様な形で、
ちょうど野球ボールぐらいの大きさ。
そこに小さな液晶画面と、小さな発光レンズがついています。

その発光レンズを壁や机や、なんでもいいのですが押し当ててボタンを押すと、
運がよかったら怪獣が液晶画面に現れて、ゲットできるという代物でした。

その押し当てる壁や机などの色の違いや、反射の度合いでゲットできる怪獣が
違ってくるもんだから、色んなところに押し当てては怪獣を探していきます。
きっと子ども同士のこんな会話が想像できます。

「うわ、その怪獣どうしたん?」
「これな、ウチの台所の壁でつかまえてん」
「これと交換して!」
「えー、それ持ってるもん」

こんな感じでしょうか。
いやー、よく出来てますね。

最近の仮面ライダーなんかは、まず売れそうな武器やアイテムの
商品開発をしてから、それにあわせた新しいライダーをつくるそうです。
それに比べたらこのポケモン、ちょっといいかな、なんて思ってしまいます。

1998年の雑誌「AXIS」(株式会社アクシスパブリッシング)で
ポケモンについて短く触れられている箇所があります。

メディア環境研究者の桝山寛によると、ポケモンはベーゴマやメンコといった、
「交換」する「ネットワーク」ゲームであるとし、手紙や電子メールと同じか
それ以上の魅力があるとか、そんなふうなことを言われてます。
これを受け、同誌はゲームが「遊び」から「コミュニケーションツール」へと
進化していると書かれていました。

まぁ「手紙」から「メール」へ、ツールが移行して確実にその「質」が落ちて
いることを思うと、なんともフクザツですが、
もともと子ども同士のコミュニケーションツールだった「遊び」が、
一度ゲームで壊れ、また形をかえてもどってきたということでしょうか。

「ピカチュウは?」
「ここにいるよ」

私の唯一知っている怪獣の名前を、苦し紛れに聞くと、
しきりにボタンを押して見せてくれた時の笑顔が印象的でした。
  


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2007年08月18日

休み明け。

昨日京都に帰ってきました。
早速ブログをチェックするとお盆の休み中にもかかわらず
見に来ていただいた方が沢山おられて嬉しい限りです。
コメントをいただいている記事もあり、あらためてありがとうございました。

さらに今日から?「京つう的オススメBLOG」に、このブログが出ているのを発見。
なんで?でもこうなった以上やっぱり京都のことを書いた方がいいのかな?
別にいいですよね?たまたまですよね?

ということで「そんなふうなこと」今日からまた再起動いたします。

で、休みの間は四国、高松へと行っておりました。
普通のスーパーで売ってるお刺身がうまい。
たいがいのうどん屋のうどんがうまい。
のんびりとビールがうまい。
と、うまいづくしですが、これだと建築にかすりもしないので高松駅にできた
サンポートタワー展望台(30階建てのビル)からの景色を貼っておきます。

「オススメ」から初めて入られた皆様、
今日のところは過去記事でご勘弁ください。
7月28日〜8月3日あたりの記事のアクセスがなぜか多いので
その辺を「オススメ」しておきます。

さぁ仕事、仕事!仕事するでー!

(海の方角はこんな感じ。)


(市内の方角はこんな感じ。どう?)
  


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2007年08月17日

目撃談

先日妻が「小判を配るおじいちゃん」を目撃したという。

京阪電車の3人掛けのシートの真ん中に座ったそのおじいちゃんは、
右隣りのおばあちゃんに、しきりに話かけている。
「ほら、ここに龍の絵があるやろ、これがいいんや、
 これで幸せになれる、わしはもう長いことないしみんなに
 配ってるんや、あんたにもあげよ、かまへん、あげる、もうとき」

「龍って、」とつっこみそうになった妻は、
話かけられたおばあちゃんが、しぶしぶ受け取っている姿を見て、
その二人がたまたま乗り合わせただけの他人同士であることをさとる。

「そうそう、それでええ、それで幸せになれる、あんたよかったな、
 あんたよかったわ、もう幸せやわ、うん幸せや」

誰の幸せやねん。妻はそう思いながらも窓際に立ち、様子をうかがう。
満足げなおじいちゃんは、左隣りのおばあちゃんにも話しかける。
「ほら、ここに龍の絵があるやろ、・・・」

向かいの席の高校生ふたりがニヤニヤ笑っている。
それまで全てのやりとりを寝たふりしながら聞いていた左隣りのおばあちゃんは
しかたなく説明を聞き、事を荒立てまいと、素直に受け取る。

「財布にいれとき」
「え?」
「はよ財布にいれとき」
「・・・」
「はよ財布にいれときて」
「いや後でちゃんと・・・」

赤の他人の前でうかつに財布なんか出せないと警戒するおばあちゃんは
丁重にお断りしている。

「あんた不幸になるで」
「・・・」
「今入れなあんた不幸になるで」
「・・・」
「今すぐ入れな逃げてしまうで、幸せが逃げるで、そんで不幸になるで、
 あんた不幸になるで、もう不幸やわ、うん不幸や」

こちらを見ようするおじいちゃんの視線を巧みにかわし、
妻は次の駅で降りたため、結末はわからない。

「今そうゆうの流行ってんのかなぁ」
「なんで?」と私が聞き返す。
「ほら、区役所のトイレに10万円入りの封筒置いたりするニュースあったやん」
「なるほど」
「それにしても小判ってなぁ」
「どんな小判?」
「いや、それがな、結構本物っぽかってな・・・」
詳細を説明し始める妻でした。

(いや、でもそれ、以外と割ったらラムネかも)
  


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2007年08月16日

生活の糧

ずいぶんと前の「美術手帖」(美術出版社)だったと思いますけど、
「自分の贋作者」という言葉を使って、面白いことが書かれていました。

画家がある作品で有名になり、
これでいける!と、同一のテーマ、同一のモチーフで何枚も描き、
その画家は自分の芸術の、いわば贋作者になるという、
そんなふうなことです。

もちろんそうなるには理由があって、
芸術家といえども、生活しなければならない、お金が必要、
みたいなことです。

例えてあげられていたのはヘイドン。
彼は、あるナポレオンの絵で評価を受け、生活のため、ナポレオンを何枚も描き、
しかし、同じ主題を安易に描く自分を、自分自身の贋作者とみなし、
最後には自殺してしまいます。

ウォーホール以降の現代では、にわかに信じがたい話かもしれませんが、
いつの時代も芸術家が完全に自由だったことはないということですね。

それに比べたら今はいい世の中かもしれませんね。
生活のために昼はコンビニでバイト。夜は小さくてもステージでバンド活動。
パトロンや経済の圧力を「直接」受けない分、自由に歌う。
もちろん生活は苦しくて将来は不安だけど、やれるだけやる。
そんなスタイルで活動する姿はある意味、市民権を獲得しています。

でもさっきのヘイドンさん。
よっぽど自分の行為が許せなかったんでしょうね。
でも恥じることなんてなかったのに。(いやもともと恥じてはいないのかな?)

とにかく大切なのはその時代を生き抜くこと。
根性入れ直しでもいいし、「戦略」と居直って肩の力を抜くも良し。

「生きる事には意味はない。でも生きてりゃけっこう楽しい」って、あれですよ。

(17日まで夏休みにしました。18日までコメントをお返しできませんが、
 ご了承ください。でもよかったら是非どうぞ!photo by うるめもどき)
  


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2007年08月15日

本屋さん

皆さん本屋さんへはよく行かれますか?

昔は家の近所に小さな本屋さんが必ずありましたね。
子どものころ、買い物についていって、小さな本屋さんの前を通り、
「小学3年生」とか、沢山の付録がついた雑誌を買ってもらったのを覚えています。
あの雑誌は面白かった。子ども心を突いていましたね。
今もありますか?

私には姉が一人いますが、当時姉は「なかよし」を買ってもらってたように思います。
あれ?「りぼん」だったかな?いずれにせよ、ならばボクはと、
「コロコロコミック」や「テレビくん」をねだりましたが買ってはもらえませんでした。
(なんで?)

大きな本屋さんへ行くようになったのは、いつ頃からですか?
私は学生になってからかな?

で、大きな本屋さんに入ったらまず、どこへ行きますか?

あれ?変な質問?
そりゃ、入り口付近の平積みを横目で見ながら目的のコーナーへ一直線といった感じ?
私もそうです。
その後どうします?
もう一つぐらいチェックするコーナーに寄って、そのまま帰る。

でもなんだかミョーな感じしません?
そのコーナーへ行くと、だいたい自分とよく似た人が立ち読みしている。
自分と同じ様な人の隣なんかで、同じ様な雑誌を立ち読みすると、
「私はこの人?」って、ミョーな感じになったことありません?

店内を見回すと、そのコーナーなりに、そのコーナーらしい人が固まっている。

なんか怖いというか、ゾゾゾッて、そんなふうなこと思った事ありませんか?

いや、いいんですよ、本をごちゃまぜに置かれたら、たまったもんじゃありませんから。
でも意図があろうとなかろうと、操作されるってこういう感じなんでしょうか?

だからと言う訳では決してありませんが、
たまに店内の他のコーナーをなんとなく見てまわることがあります。
するとね、以外と手に取ってしまう本がけっこうあるんですよ。

本屋さんで「自分さがし」することないけど、
いい本に出会えるかも?

(17日まで夏休みにしました。18日までコメントをお返しできませんが、
 ご了承ください。でもよかったら是非どうぞ!)
  


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2007年08月14日

nano

ついに買ってしまいました、ipod nano。てへへ。
え?今頃?なんて言わないように。

以前このブログで車のCDプレイヤーが壊れた話を描きましたが、
オーディオ買い替えるの高そうだし、それならipod買って、
FMにして聞こうということです。

まぁ音質は落ちますけど我が家の車はデミオ。
そんなふうなことで一番安いのを買ってしまいました。

それでも500曲も入るの?ということで、
早速CDを読み込む作業を始めたものの、
以外とCDが沢山あって、いつまでかかるんだろうと不安。
ひたすらCD入れて読み込み、CD入れて読み込み、・・・。
結局終わったのは夜7時。

いやね、どうしても読み込みながらなつかしい曲に聞き入ってしまう訳ですよ。
聞きながらも読み込めばいいものを、
「あ、これこれ」
などと手を止めてしまいます。

まぁたまにはいっか。
でもね、

「こんだけ聞いたし、もう車で聞かんでいいのとちゃう?」

そう言うと妻も
「たしかに」
と、ぐったりしていました。

(17日まで夏休みにしました。18日までコメントをお返しできませんが、
 ご了承ください。でもよかったら是非どうぞ!)
  


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2007年08月13日

土佐山


この写真の部屋、なかなかいい感じのところでしょ?

これは「オーベルージュ土佐山」のたしか、ラウンジだったと思います。

まだ「オーベルージュ」がそれほど一般的でなかった頃、
山の中で、食事がめちゃくちゃおいしくて、部屋にテレビがなく、
もちろんおしゃれーな感じで、何もしないでボーっとするという贅沢に誘われて
行った時のものです。

ここ何年かは行ってませんけど、何回行っても満足でした。

もう予約はかなり前からでないとダメみたいですが、久しぶりにまた行きたいものです。

とにかくすることがないから、ひたすら本を読むか、
音楽を聴くか(部屋にオーディオが置いてあります)、ビールを飲むか、
考えごとをするかに見せかけてボーっとするか。

これ以上の幸せってあります?

で、今日から我が家(というか我がアトリエ)は夏休みにすることにしました。
あ、行き先はここじゃありませんよ。

つきましては、大変恐縮ですが、17日まで、ネットにつながる環境にはおりません。
更新はする「予定」ですが、コメントは18日までお返しできません。

え?もともとコメント書く気なんてない?
そんな事言わずに、ね。  


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2007年08月12日

世界遺産

世界遺産ってけっこうたくさんありますね。
私が知らないだけなのかもしれませんが、
最近その数がやたらと増えてる様な気がします。
(気がするだけかな?)

京都府だけでも17件あるんですね。
京都に関心の高い人向きの、この京つうを利用されている皆さんなら
「何を今頃。」と思われていることでしょう。

「人類」にとって残す価値のあるもの、ということなんですから、
選ばれるってことは、それはそれは名誉なことですね。

なんでこんなことをぐだぐだ書いてるかってね、
また考え込んでしまう様な、古い記事を見つけて、
やめりゃいいのに読んでしまいました。

タンザニアのあるエリアが世界自然遺産になってるそうですけど、
そこにダムを建設する計画があるそうです。
その記事は、そんなことすると生態系がくずれて遺産じゃなくなるから良くない、
みたいな論調なんですけど、これって以外と難しい問題ですね。

日本でダムと言えば「談合」の代名詞みたいになってて、その存在すら「悪」なんて
見られがちですけど、本当に必要なところにはやっぱり必要なもの。
水の安定供給はとっても大切。
けど、生態系が壊れることの本当の怖さも理解できる。

すこし話はズレますけど、中国のような巨大な人口をかかえてる国は、
添加物やら化学肥料やらにこだわってると食料が追いつかないなんて話も
あるそうで、つまり、「その国の事情」ってのがある。
でも、くどいようですけど、「人類」という視点も捨てられない。

その記事では、タンザニアが遺産登録から除外してくれと申請してるとか、
そんなふうなことが書かれてましたが、2002年の記事ですから、
今、どうなってるんですかね。(あ、ちょっと人ごとっぽくなってしまいました。)

日本ぐらい豊かな国なら世界遺産でもなんでも、なんとかなるかもしれませんけど、
こないだこのブログで写真をのせた「白川郷」なんかも、実際住んでる人は
大変だろうなぁと、また同じことを思うのでした。

うーん。進歩がない。

  


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