京つう

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2007年07月30日

落語で

この京つうサイトにあるブログ「コラム4054」で、
大変力強く、おもしろい記事が出ていました。
その記事は7月27日付、タイトルは「落語は世界を救うのか」。

今日はそのことについて書こうと思いますので、
お手数でも、まずはそちらを読んでいただきたいと思います。

読まれてなお私の記事を読んでやろうという、ありがたい方は、下にある「続きを読む」
をクリックして、本文へお入り下さい。
(あ、「そんなの面倒よ」と言われる方はそのまま読んでいただいて結構なのですが、 ちょっとわかりにくいかも。その時はごめんなさい。)

(本文)
読み終えて、同感するところがたくさんありました。

相手の文化、生活を理解し、おたがいを「隣人」と認めるきっかけと、
その文化自体を伝える方法としての「落語」ということでしょうか。

その中には、近しい個人同士にある、当たり前であるはずのコミュニケーションの
再認識という、そんなふうなことにも触れられていたと思います。

戦争で人は人を殺す。
そこに人としての「情」があれば、引き金を引く指を止められるかもしれない。
たしかに。けれど、記事の作者、のりさん自身が想像されている通り、
起こってしまっている戦争の中では普段の規範が通用しないということもまた、
多く語られている。
始まってしまえばもう、すでに、別世界ということでしょうね。

「仲間を殺すな」と「仲間のために殺せ」。

この矛盾する二大ルールで、人類は何十万年もやってきたと社会学者は指摘します。
(「よのなかのルール」ちくま文庫)
法律で死刑が定められているように、
やられたらやり返すという意思を「示し合わさない限り」秩序が信頼されない、
といいます。

なんだか野蛮で悲しい話ですね。
のりさんも、だからこそ相互理解の大切さを説かれるのだと思います。
その点は私も同感です。
しかし一方で、仲間意識を無制限に広げるのにも無理がある。
「知らない人にはついていかない」のが普通と言われれば返す言葉はありません。

いくら悲しい、認めたくないもので我々が支えられているとしても、
私にはこれ以上の知識がないので、これに対抗するロジックを知りません。

これを考えるたびに戦争や変な殺人に対し、無力感を感じます。

長くなりましたが、もう一つだけ。

「落語は世界を救うのか」の記事とは話がずれますが、
私は、悲しいけれども、芸術で戦争がとめられるとは思いません。
戦争をとめるのはもっと違う、(ともすると、もっとどす黒い?)何かだと感じています。

ただ、芸術は必ず、「人の支え」になれると思う。
そんなふうに考えて、自分の仕事で一歩でも近づける様に心がけています。

夢が無さすぎですか?
それとも夢を見すぎですか?
皆さんはどんなふうに思いますか?

(へへへ、なんかいいでしょ?、この写真。photo by うるめもどき)



Posted by +0 atelier at 18:30│Comments(2)
この記事へのコメント
トラックバックありがとうございます。
私はリアリストにはなれないなーと常々思っていますが、私のような夢見るメルヘンなおっさんがいてもいいよね、と自分をついつい擁護しがちです。
+0 atelierさんのような考えはもっともだと思います。楽観論の甘さは良い夢見の導入口にしかならないかも知れませんから。
イマジンをいくら歌っても訳しても、銃が永眠する事はないのかな。
でも信じたいですね。人のつくる平和な世界を。
Posted by のり at 2007年07月30日 21:34
のり様へ

コメントありがとうございます。

楽観論で夢見の導入口に立つことを「甘さ」といってしまえば、
入り口にすら立てないリアリストも「甘さ」を抱えこんでいる。

今回のこうしたやりとりの中で私が一番うれしいのは、
「あぁ、ちゃんと自分とは違う考え方をする人がいる」と思えることです。
私や、のりさんや、このブログを読んでる人や、もちろん読んでない人も含め、
色んな人がいると思えることも平和の条件だと思うから。
もちろんその先の行動がまた、人それぞれであるとしても。

そして私も信じたい。人のつくる平和な世界を。
Posted by +0 atelier at 2007年07月31日 10:57
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