京つう

  住まい・建築  |  右京区

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2010年03月03日

飼育管理

『思想地図』(NHKブックス別巻)におもしろい話がありました。
村上隆氏へのインタビュー記事の中で氏がクワガタムシの話をしています。

それによると野生のオオクワガタの大きさは、これまで70ミリが臨界点とされてきました。
が、ここ15年程、限界突破が次々と起こっている。理由は徹底した飼育管理。
クワガタの幼虫は朽ち木を食べるそうなんですが、ある人が調べていくとその朽ち木につく
ある特定のキノコの菌がどうもクワガタを大きくしているということを発見。
で、その菌を培養して食べさせ、温度や脱皮のスピードなんかも管理した結果、今では80ミリ
を超える個体も出現するのではないかといわれているそうです。

へぇーなんかすごいねぇって感じなんですが(笑)、アーティストの村上氏がなんでこんな話
をしているのかが気になりますよね。

この話しが出て来たのは
「日本では芸術(や芸術家)が育たないのではないか?」「大きくなるには西欧での飼育管理
がないとダメなのでは?」といった話しの流れから例えて語られています。

はたしてそうなのか?
でも西欧に比べたら日本の環境では「80ミリ超え」が育たないって、
なんだかわかるような、そんなふうなこと思いません(笑)?

いや、そんなことないのかな?
皆さんどう思われますか?

そういえば、日本には文化はあるが文明はないって書いてたの誰でしたっけ?
荒川修作?柄谷行人?

ま、いっか(笑)。

ちなみに村上氏自身は
「オタクの菌糸を喰って、西欧の飼育管理環境で育てられた」そうです(笑)。  


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2010年02月04日

先月のこととなってしまいましたが、実は新年早々、狂言を観る機会をいただきました。
記憶の限りではちゃんと大人になって(?!)観るのは初めてのこと。

ちゃんとわかるのかなぁなんて不安を抱きつつも、
めちゃおもしろかったです。

私が観たのは茂山家のもの。
色々な方に話を聞くと茂山家のものは言葉も多少わかりやすくアレンジしてあって、
それはある意味昔の形からは崩れているともいえるし、逆にいつの時代であれ
庶民が楽しめる芸であるという精神には忠実ともいえるようです。

で、観てみると新鮮な驚きに満ちておりました(笑)。

まずはその舞台。
ふつう演劇の舞台はこう、横長というか上手、下手があってある意味平面的ですよね。
でも狂言の舞台は実に立体的。

屋根のかかった正方形の舞台がはりだしていて、それを囲むように客席があります。
で、当然のごとく(?!)演者も前後左右、立体的に動きます。
私たちはたまたま正面でなく横から観る感じの席に座ったのですが、
そこから観る動きも自然というか、新鮮というか。

で、その時突然頭に浮かんだのが映画「アバター」。

おいおい日本の伝統芸能みてハリウッド映画はないんじゃないの?
なんてそんなふうなこといわれそうですけど、その奥行きのある動きや
舞台装置が今話題の3D映画とつながったんでしょう(笑)。

いや「アバター」はまだ観てませんし、狂言に限らず演劇はリアルに人が演じるわけ
ですからねぇ、それが立体的だなんていっても「あっそう」ってことかもしれませんけどね。

でもね、3D映画が今話題になってるくらいすごいものだったら、
狂言も3Dで撮影して上映されたりして(笑)。

形かわりすぎか(笑)。

ま、その前に狂言とどっちが立体的か、まずは「アバター」観にいってこよっと。  


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2010年01月29日

猫ブログつくりました。

とにかく猫の写真をどんどん更新してほしいという声に応えまして、
この度、猫ブログを創設する運びとなりました。

その名も「+猫 atelier」(プラスネコ アトリエ)

あぁ、でもこんなことしたらこのブログ、誰もみてくれなくなるような(笑)。
でもま、いっか。
こっちはこっちでのんびり更新していきますよ。
そんなふうなことで、どちらも宜しく。
  


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2010年01月03日

今年は?

お勤めされている方は初出の時に「今年の抱負」なんてことを
皆の前で発表させられ(?!)たりするのでしょうか。
あれってなんかちょっと恥ずかしい感じですよね。

もう話すこと決めてます?(笑)

ということで私も考えてみました。
いろいろと浮かんではいるのですが中でも心にかたく誓ったことがひとつ。
それは、今年こそ我が家を猫向けに特化した家に改造すること!

キャットタワーはもちろんのこと、インテリアにマッチした「猫棚」計画、
間接照明式キャットウォーク「光るんです」他、去年から構想を練っている企画を
今年こそ成し遂げますっ!。

うるめちゃんの幸せは世界の幸せ(笑)。
出来れば制作風景などもこのブログで紹介できればと考えております。
やるぞっ!おぅー!

「いや、そうじゃなくて仕事のほうは?」
  


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2010年01月01日

あけました。

新年あけましておめでとうございます。
本年も皆さまにとって最高の1年となりますように。
  


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2009年12月30日

のんびり。

年末ということでのんびりさせていただいております(笑)。
我が家のまねき猫・うるめちゃんはというと・・・。



たそがれ・・・、





ねむり・・・、





たまに起きても何をするでもなく、






また寝ます。


なんか幸せそうやね(笑)。
皆さま、良いお年を。  


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2009年12月18日

風景

ちょっと時間ができたので更新しようとPCの前に座って、
なんとなくこのブログの過去の記事を読み返してみました。

にしてもなんですね、「建築」についての記事が全然ありませんね(笑)。
まぁそれも建築につながらなくもないと本気で(?!)思ってやってるわけですから
いいと言えばいいんですけど、せっかくなんで今日は建築家の言葉を引っ張ってみますよ。
こんな感じ。

「建築は敷地に溶け込むものではない。
 独自のものとして存在し、風景とのあいだに質的、次元的な関係を確立する」
 (『敷地を圧倒すること』クロード・パラン 平凡社『ARCHILAB』より)

このクロード・パランという人、フランスの建築家らしいです。
でも、これが書かれている数行あとにこうも書いてます。

「敷地を圧倒し、自然の地形に匹敵するものとなり、方向性を変えること。
 人工の地形、風景になること

「建築」は埋没せず存在し、そこにある風景と関係しながらも風景となる。
「風景」という言葉に秘められた「人の力」が感じられて深いなんて
そんなふうなことを思うのですがどうでしょうか?

そもそも皆さんにとって建築は風景を壊すものなのでは?(笑)

本当はそうじゃないんですけどいつからそんなことになったんですかねぇ。

話しは変わりますが私の高松の作品に傾斜した床のある家があるのですが、
このクロード・パランという人は「斜めの機能」というものを探求されていたみたいで、
いつかこの人の本を読まなくてはとページの耳を折ってたのを思い出しました。
というわけで、本屋へ行ってきます。

(広辞苑?むずかしい顔してますね。きっと何も考えてませんよ(笑))
  


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2009年12月01日

さざんかの話

去年にくらべてすこーしだけ早く咲いているうちの山茶花(さざんか)ですが、
先日、山茶花にまつわる、私の子どもの頃のにがーいエピソードを思い出しました。
いつもよりちょこっと長文ですが、まぁ読んでやって下さい(笑)。

たしか小学生の低学年だったとおぼえています。
当時私は山科区に住んでいたのですが、お隣にはおばあちゃんがひとりでお住まいで、
その家に山茶花の生け垣がありました。
お隣さんは角地で、それをぐるっと囲むように植えられた山茶花の生け垣は
毎年きれいに沢山の花を咲かせていました。

私は学校から帰ると時々ですがその生け垣に強引にもぐり込み、小さくなって遊んでいました。
今から思うと完全に不法侵入(笑)でしたが、まぁおおらかな時代だったんですね。
道行く通行人に息をひそめたり、好きだった仮面ライダーの消しゴムやなんかで遊んだり、
よくある「秘密基地」みたいなものでしょうか。

その日はいつも遊んでいた近所のK君もいっしょです。
家と生け垣の間にできたわずかな隙に座って話したり、
生け垣の中を身をよじらせながらぐんぐんと進んだり。
楽しかったですねぇ。
何が楽しかったのかわかりませんが、とにかく楽しかった(笑)。
すると、ふと山茶花のつぼみに目がとまりました。
小さくて丸くて、それだけですがなぜか子どもには魅力的。
何か宝物を発見した時のような興奮!
思わず手をのばすとポロッと手のひらに落ちます。その感触がまた良いこと!
「うゎ、つぼみや!これとれるぞ!」
かなりのテンションでそう言ったのが私かK君か忘れましたが、
とにかくふたりして夢中でつぼみを集め始めました。
ちぎってはポケットに入れ、ちぎってはポケットに入れ。
そのうちズボンのポケットはパンパンに。
それでもあき足らず家からスーパーのビニール袋を持って来て、とにかく手当たりしだいに
山茶花のつぼみをちぎって集めたのでした。

その夜。
うれしかったんでしょうね。
私はパンパンのズボンのポケットとスーパーの袋に満タンのつぼみを母親に見せて自慢します。
「見て見て!つぼみ、こんなにとれたで!」

この時の絶望感を今でも母は忘れられないといいます。
「なんちゅーひどいことするんや!」
こっぴどく叱られた私はしかし、わけがわからず頭の中を
「なんでやーなんで怒られんのやー」がぐるぐる回っているのでした(笑)。

後日、私とK君、そして親と共に菓子折りをもってお隣のおばあちゃんに謝りに行くことに。
「ほら、ちゃんと謝りなさい!」と母。
「つぼみをとってごめんなさい」とつぼみを差し出す私とK君。
するとおばあちゃんはゆっくりと
「そうかそうか、よくまぁちゃんとあやまれたなぁ。はい、わかりました」
そう言って、ニッコリとされたのでした。

本当に申し訳ないと菓子折りを差し出す母、いやいや子どものすることだからと
受け取らないおばあちゃん。
そんな問答がしばらく続き、最後はじゃあこうしようとおばあちゃんはおもむろに菓子折りの
箱を開け、少しだけ自分の分をとると、残りをふたつに分けて私とK君に持たせたのでした。
「ちゃんとあやまれてえらかったな。はい、持って行き」
差し出されたお菓子をなんのためらいもなく受け取る私(笑)。

そしてその年、お隣の山茶花の生け垣はちょうど子どもの背丈あたりを境目に、
上の方だけ花をつけたのでした。

(うちの山茶花です。おばあちゃん、あの時は本当にごめんなさい!)
  


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2009年11月26日

日本代表が負ける訳?

おそらく日本サッカー協会が出している報告書だと思うんですけど、
日本代表が勝てない理由のひとつに「試合中の選手同士の意思疎通が下手だ」
なんてことが指摘されているみたいですね。
昨日観たテレビの『クローズアップ現代』で言ってました。

理論立ててしっかり伝える力=「言語力」が弱いとかで、選抜された高校生くらいの子たち
(サッカー選手のたまご?)がそれを強化すべく教室で授業を受けている風景も映ってました。

サッカーのために国語の勉強(?!)ってなんだかへんな感じですが(笑)、
まぁ20世紀の哲学でも「言語」が思考とコミュニケーションの両方にとって不可欠だ
なんていってるそうですから、ぜんぜん外れたことをしてるって訳でもないんでしょう(笑)。

でもなんですね、一方でスペルベルとウィルソンという二人の学者によると、
コミュニケーションにおいて言語は「あれば便利」というだけのことで、
必ずしも必要ではないと言います。(『「公共性」論』稲葉振一郎 NTT出版)

お互いのメッセージやそこにこめられた意図なんかを理解するのに必要なのは
むしろ「相互認知環境」だそうです。

これは単にお互いが同じ言語コードを持っているというだけのことではなくて、
話し手がこの「相互認知環境」を聞き手にわかるように改変して、聞き手はそれを
「自分になにか有意義なことを伝えようとしている」のではとその改変を解釈しなおす
という、話し手と聞き手の非対称性理論。
なんだかむずかしいけれど、まぁこれにしたところでたしかに「力」(言語力?)は
要りそうですね(笑)。

とはいうもののこれらは「公共性」についての考察での話し。
ひとつのサッカーチーム内での話しとしてはちょっと的外れかもしれませんね。
いやそうでもないかな。

(それだけシビアな世界ってこと?日本代表でサッカーをプレイするってことは)
  


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2009年11月03日

ゆるい

忙しい忙しいといいながらも先日彦根市で行われていた
「ゆるキャラまつり」にだけは(?!)行ってきました。

彦根城前の通りに、いるわいるわのゆるキャラたち。

まずはお気に入りのわたるくんを発見。あたまに車がのってます。

あ、一緒に写っているのはたぶん観光客の方(私たちもそうなのですが(笑))で
こんなふうに子供よりも大人の方が多かったような気がします。

まぁ考えてみたらそうですよね。
「ゆるい」という美学(?!)を理解するのは意外と難しい。

まずは「キャラ」とはなんぞやというところからはじまる。
しかも歴史的に蓄積されてきたかつてのキャラたちをなんの根拠もなく
ひとまず「ふつうキャラ」と認識できたとしても、ではそこからどう展開すれば
ゆるキャラになりうるのかはなぞである。
また、よしんばそれが解明されたとしても事態は複雑をきわめる。
例えば、おそらくはふつうキャラであるはずの「ヤンボー・マーボー」も
そのまなざしを「ゆるい」にずらしてみると本当にふつうキャラと言い切れるだろうか。

総体としてのキャラクターを認識する視点、それらを比較・特徴付けするための
まなざしのズラし、そしてなにより「ゆるい」と言い切れるセンスと自信。
これらを総合的に解析して体感する「ゆるい」という感覚は、
仮面ライダーやウルトラマンといったスタンドアローン的キャラクターに翻弄される
子供たちとって理解は難しいことなのかもしれない。

とまぁいきおいでどうでもいいことをだらーっと書いてみましたが(笑)、
実際、色んなキャラがいますねぇ。

これはホタルだそうです。


これなんかちょっと悪そうなかんじですよ(笑)。


なんだかよくわからないものや・・・


なかにはかなりオーソドックスなたぬきまで。

うーん、キミはいったい・・・。

そんなふうなことでおみやげはワンカップひこにゃん。


はじめてひこにゃんを見ましたが、そのかわいさは他を圧倒するいきおい。
格が違います(笑)。ほらね。
  


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2009年10月07日

ようやく

先日から記事にしています新作品を私どものHP
ようやくアップいたしました。ぜひ見てみてくださいね。(こちらからどうぞ

敷地はこのブログでもちょこちょこと登場していました滋賀県。
木造の平屋(うらやましいです!)で、まえの建物に使われていた
梁や建具、黒光りした天井板や、茅葺きにつかわれていたすす竹なんかも
再利用しています。

そんなふうなことで今回は100%PRでした。あしからず(笑)。
(こんな感じです)
  


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2009年10月01日

シマトネリコ

十月桜(ジュウガツザクラ)って知ってます?
冬桜ともいうみたいですけど、春ではなく10月ごろから冬にかけて花が咲くそうです。

先日竣工した滋賀のお宅では、建設会社(京都建設さん)のほがらか社長の提案で
この十月桜を植えましょうということに。
うまく咲けば「お正月を桜を眺めながら迎える」なんてなんだか粋ですよね。

当初は道路に面した植込みに植える予定でしたけど、検討の結果
リビングとそれに続く木製デッキからよく見える庭の真ん中に植えることになりました。
うまく根がつくことを祈るばかりです。

え?じゃぁその道路の植込みに何を植えたのかって?

ええ、それで社長にどんな木がいいのかイメージを聞かれた私は

「なんか、ひゅるひゅるーのふわぁっみたいな感じ」

とオール擬音で返答(笑)。
そんなふうなことで候補に浮かんだのが「シマトネリコ」。
お施主さんの理解もいただき、今現地には真っ白の建物をバックに
「ひゅるひゅるーのふわぁっ」が気持ちよく風にそよいでいるのでした。

(これはシマトネリコのふわぁっの部分)
  


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2009年09月16日

バタバタ

うぅ、全然更新できてなくてスミマセン。
なんだかこのひと月ほどバタバタ走っておりました。

まだ続きそうですがこんな時こそつとめて更新しなくては、
なんて思ってはおります(笑)。けど・・・うぅ、いそがしすぐる!
とりあえずうるめちゃんphotoで・・・。

近々、先日竣工した滋賀の木造新築物件をアップしようと思います。
既存の梁や建具、すす竹なんかも使っていい感じなんですよ。
(あ、いや、ほんと近々のつもりです。photo by うるめもどき)
  


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2009年08月10日

漢字事故

「紀元前に生まれた古い文字で、現在まで使われているのは漢字だけなんです。
 エジプト文字も、メソポタミアの文字も滅びました」

「人間と文字」というモリサワのカレンダーを制作するにあたり、世界中の言葉を
時代を追ってみた時の感想を問われた田中一光氏の言葉でした。(『IDEA』No.252 誠文堂新光社)
田中一光氏はグラフィックデザイナー。
ロフトのシンボルマークなんかもデザインしているみたいですね。

で、氏によると漢字は最小でも4000字あって、画数も多くて覚えにくい。
一方アルファベットは現在26文字で簡単だからコンピューターの時代になれば
漢字も滅びるだろうといわれていたそうです。
ところが現実はそうではなくて、実際はコンピューターの頭がよくて漢字を全部呑み込んで
しまったとかそんなふうなことでした。

まぁ「だから漢字は残ってるんだ」とまでは言えないと思いますが(笑)、
複雑な象形文字みたいな漢字の存続を科学技術の進歩がある意味で支えているとは言えそうですね。
そうやって見まわしてみると科学の進歩はホント色々なところで活躍してますね。
でもいいことばかりでもない。こういう話しになると原爆を発明したアインシュタインは
どうなのよ?といった話題がすぐにのぼります。
ポール・ヴィリリオは新しい技術が生まれると、同時に新しい事故が生まれるって言うくらい。
うーん、難しい問題です。

いやでもね、コンピューターに呑み込まれた漢字が起こす事故ってどんなの?

あ、同音異語が氾濫して訳わかんなくなるとか?

いや、なんか違うか(笑)。

(photo by うるめもどき)
  


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2009年07月23日

366日

皆さん日蝕見ました?
京都はくもりでしたが一応それらしい時間に見上げてみると
流れる雲の切れ間から少しだけ見えましたよ。
なんかいいもんですね。

テレビをつけるとやはり中継番組をやってます。
中継地点はまっくら(笑)。
「わぁー昼間なのに夜みたい!」
まったくその通り。

一方で動物の反応も各地で撮影されてましたね。
動物たちは本気で夜向けの行動を始めてました。

そこでふと素朴に思う。

動物たちにしてみれば暗くなったらそれは夜。
一方人間は暗くなっても昼間は昼間。
つまり昼間ってことを「時間」で考えてるんですね。

え?あたりまえなこと言うなって(笑)?

でもね、人と動物って同じいきものなんだけど、なんかちがうんだなぁとか
そんなふうなことを考えてしまいましたよ。

やっぱ人間ってすごい(笑)。

(夜が一回多いから動物たちは1年366日ですね(笑)。)
  


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2009年07月16日

フクピカで

最近は監理のために現場へ行くとやたらと疲れる(笑)。
少し前まではそうでもなかったのに、これは運動不足かはたまた歳か?

これはいかんなぁと、ずっと乗ってなかったマウンテンバイクをひっぱりだしてきました。

買ったのはもう十数年前。
当時はよく走りました。裏山を散策したり、彼女(現在の妻です)と二人で電車で運んで
見知らぬ街を走ってみたりと、ホント元気でしたね。

細かなところが錆びてますが、とりあえずボロきれとフクピカ(車を拭くやつ)で磨いてみる。
で、当時からハンドル位置が前すぎてしんどかったので、お店で部品を交換して、
さらにサドルを出来るだけ前によせると体形にぴったり。めちゃくちゃ楽になりました(笑)。

ついでにタイヤをブロックタイプからセンターのみスリックのものに交換すると街中でもスイスイ。

え?あんまり楽すぎると運動不足解消にならないんじゃないかって?

てへへ。ま、そこは大目に見てやって下さい(笑)。

(今度これ輪行して現場行ってみるかな。いや、疲れて仕事にならんからやめとこ(笑))
  


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2009年07月02日

イチローとかけて

マリナーズのイチローが好調みたいですね。
2001年当時の打撃コーチ、ジェラルド・ペリーによれば
イチローは5種類ものスイングを使い分けているそうです。

1.軽くたたいて左に流す「スラップ」、
2.意識的にボールの下をたたいてセンター前に落とす「ストローク」、
3.野手のいないところへ力をこめてシュートする「スラム」、
4.腕だけでコントロールしてボールを運ぶ「クリスエバート・バックハンド」、
5.難しいストライクを右にはねのけてファウルにする「スポイル」
の5種類。

ただ、「どうしてこんなことができるのかわからない」そうです(笑)。
つまりどうやって瞬時に判断し、使い分けるのか?

そこで、社会学者の大澤真幸は『イチローの三振する技術』(青土社)の中で、
上記のようなことや様々なエピソードを紹介しながら、おもしろい考察をしています。

あるときイチローはストレートを待っていた。
カーブやスライダーや「他なる可能性」が無数にある中でストレートだと決めて待っている。
次にピッチャーがボールを投げた瞬間、イチローはストレートのタイミングでバットを振り出した。
しかしその時投げられた球はカーブ!
振り出しが早すぎる!
このままではバットは空を切り、三振である。
しかし次の瞬間、NHKのスローモーションカメラはイチローの信じられない動きを記録している。
バットを振り出したイチローの動作が一瞬止まるのである。
と同時にほんのわずか後ろにのけぞるように身体が動く。
こうして調整されたスイングは、実際カーブに合わされ、センター前ヒットになったといいます。

おもしろいのはここから。

著者の大澤真幸はこれを、「潜在的な現実を、顕在的な世界へともたらす魔術」だとして
ヘーゲルの言葉を引用します。

「本当の可能性は現実化することでしか示しえない」

事前にストレートと決めていたにもかかわらず潜在的に潜んでいた可能性のカーブ。
逆に、「ああすればよかった」などという事後的な可能性でもない。
イチローは「本当の可能性」をストレートだと決めてかかる「眼差し」の中から
瞬時に生み出すとかそんなふうなことでした。

なんだかすごいですね。

そこで、突然ですがなぞ掛けなんぞをひとつ(笑)。

「イチローとかけて、ヘーゲルと解く。
 その心は?
 瞬間の可能性が全てでしょう」

おや?お後がよろしくないようで(笑)。

(あ、でもWBCの時は使えなかったんでしょうね、その「魔術」(!?)。)
  


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2009年06月10日

『廃墟建築士』

小説はあまり買わない。
けれど先日なんとなく買ってしまった(笑)。

『廃墟建築士』(三崎亜記 集英社)。

建物をめぐる奇妙な物語が4つ納められた短編集です。
作者は建築関係の方でもなんでもなく、文学部出身の作家さんです。
(って、なんだか著名な方みたいですね、知らなかったのは私だけ(笑)?)

4つの物語の内の1つが「廃墟建築士」という物語です。
あまり内容を書くとネタバレになるので控えめにしますが、
廃墟を設計、建築するという廃墟建築士というのはもちろん架空の職業です。

ですが、私にはそれがどうしても架空の仕事には思えない(笑)。

なぜか?

ごくごく大雑把な説明をしますと、「建築」をめぐる言説の中にはこんなものがあります。

「建築はさまざまな条件、予測、提案等プロセスを経るけれど、いつまでも
 プロセスに浸っていることは出来ない。いつかは「切断」して「形」に
 とどめなければならない瞬間がある(作家主義的切断)。
 つまり完成はある意味で仮であり、と同時に「死」でもある」

ここで「死」とは建築的には何か?
そうです、「廃墟」に他なりません(笑)。

そこで『廃墟建築士』です(笑)。
もちろん作者はそんなふうなことはまったく意識していないでしょうし、
物語が伝えんとするところもまったくちがうところにあります。

けれどワタクシとしては、主人公が延々と廃墟を作るというその設定が
なにか象徴的なできごとのように思えて久しぶりに楽しく(?!)読めたのでした(笑)。

もちろんそんなの抜きにしても、非現実をエッセンスにしたやさしくて
おもしろい物語ですので興味のある方はどうぞ。

あ、でもこんなことを書いてると建築家はみんな「廃墟」を作っているのか
なんて思われそうですけど、もちろんそんなことはありません(笑)。

(でもね、建築的には本当は難しくて本質的なテーマなんですよ、「切断」って。)
  


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2009年05月28日

ローライフレックス

わたくしごとなのですが、現在、滋賀県に監理中の
現場が1つありまして、それがもうとにかくいい感じの
ところでして、いつか写真を撮ろうと決めていたわけです(笑)。

で先日、監理に行ったついでに1時間ほどぶらっと撮りましたよ。

カメラはこれ。

学生の時、中古で10万で購入したローライフレックス。以来、現役の愛機。
ちなみに手前に写ってる小さいのは露出計。
このカメラでは露出計なんてまだ内蔵されてませんでした(笑)。

で、撮った写真がこんな感じ。
6×6版といって正方形の写真になります。





田んぼの中の小さな小屋と木。
これを見つけた時、この辺りを撮りたくなったのでした。

そんなふうなことで、写真についてはしばらくはこのシリーズが続く
ことになりそうです。

あ、でも今まで通り(?!)猫のうるめちゃんフォトも挟みます(笑)。
(むしろそっちが本命かも!?)  


Posted by +0 atelier at 17:29Comments(4)

2009年05月16日

聞こえない音

レッシグの『CODE』という本に、
人を動かすパワーには4種類あると書かれているそうです。
いや、私は読んだことないのですが(笑)その4つとは、
法、規範、市場、そして環境(アーキテクチャ)だそうです。

批評家の東浩紀氏によると、これまで伝統的にこの「法」をベースとしてきた権力が
現代では4つ目の「環境」へとその基盤を移行しているのではないかといいます。
(『自由を考える』(NHKブックス)より)

なんだか難しそうですが、いえいえ、そうでもなさそうですよ。
わかりやすい例えが書かれています。

それがマクドナルドのイス。
マクドナルドのイスは硬くできている。
(あ、この本は2003年に書かれています。今はソファなんかも置いてますね(笑)。)
硬く出来ていて、まぁ居心地がいい訳ではないので10分で食事をすまして出ていく。
硬いイスには誰もギモンを持ちません。
だって、考えたって仕方がないですよね、そんなこと(笑)。
だから誰に命令される訳でもなく、自発的に何かに動かされて出ていく。

「環境」が権力となり、人の動きを決定する。
「環境管理型権力」とかそんなふうなことでした。

ちなみに、私としては建築(アーキテクチャ!?)を志すものとして
実は卒業したころからこういった問題にひそかに悩まされてきた訳ですが、
立場的には難しい問題なんですよ、これ(笑)。

で、そう言えば最近、コンビニで若者のたむろ撃退用の
「若者にしか聞こえない不快音」が流されてるなんてニュースがありましたね(笑)。

なんだか家畜をあつかうような話しですが、
あれが誰のギモンも持たなくなったとき、なんだか恐くないですか?

誰に命令されるわけでもなく、自発的に退散する。
はたしてそれは自由なのか不自由なのか・・・。

(今日は雨。でも我が家の都忘れは元気に咲いております。)
  


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