京つう

住まい・建築  |右京区

新規登録ログインヘルプ


2007年08月02日

建築家は?

デュシャンが「作品には絶対的なアイデンティティが存在しない」ことを
明らかにしたとして、メディアアーティストのジェフリー・ショーは
インタラクティブアートについて語っています。

「芸術作品とは、個々人が個々の瞬間につくり出すものでしかない。」

ここでいう「個人」とは鑑賞者のこと。
つまり、作品はそれを見る人の中で生まれるものであり、決してその作品が
何か特別な物を含んでいるのではないという、そんなふうなこと。

あらゆるアートがそうだとことわった上で、なかでもインタラクティブアートは
常にユーザーによって表現され、それはユーザーの欲望と行動に規定されるところが
面白いという。

なるほど。1917年の「泉」から何十年もたって、新しい技術がそれをまた違う形で
表しているということでしょうか。

インタラクティブアートを音楽に例えてこんな風にも言ってます。

「音楽に似ているとも言えるでしょう。作品は演奏されなければならない。
 それは演奏されるごとに束の間の生をもつのです。」(「科学と芸術の対話」より)

建築はここでいう「インタラクティブ」がことさら「強調」される世界ではありません。
でもせっかくだからということで、少し意味は変わりますが、あえて例えてみます。

楽譜が設計図、楽団が職人さん、指揮者は工務店の現場監督さんで、
観客がその建物に訪れる人、なんてね。

あれ?建築家が表に出て来てませんね。
でもそうでしょう。建築家は思いを全て楽譜に託すんですから。
(あ、けど、ちゃんと演奏されてるかは確認するんですよ。これを現場「監理」といいます。)

(この作品の作者が出てこない!ここまで出かかってるのに!)
建築家は?



Posted by +0 atelier at 18:30│Comments(4)
この記事へのコメント
+0さま

はじめてコメントさせていただきます。
その節はありがとうございました(私はだれでしょう?笑)

>「芸術作品とは、個々人が個々の瞬間につくり出すものでしかない。」

まさに!
その通りですよね^^
芸術に数学のような「正解」はないですし、受け取る側の感じ方次第ですものね。。。


>「音楽に似ているとも言えるでしょう。作品は演奏されなければならない。
 それは演奏されるごとに束の間の生をもつのです。」


「束の間の生」
ステキな表現ですね。。。
まさしく 言いえていると思います。
Posted by みろく。。 at 2007年08月03日 12:39
みろく。。さまへ

コメントありがとうございます。
また遊びにきてくださいね。
家内ともどもお待ちしております!

「受け取る側の感じ方次第」ってほんとその通り。
でも作り手には結構きびしいこと。
せめて、その向こうにある「人それぞれを」目指したいものです。

というか、人それぞれに思えるものを作るのって結構むずかしい
って思いません?

ましてや「束の間」なんてねぇ。
このジェフリー・ショーって人、なんかすごいですね。

ではでは
Posted by +0 atelier at 2007年08月03日 21:21
+0さま

こんばんは ♪

今日も、オクサマに助けていただきました。感謝です^^



>人それぞれに思えるものをつくるのって結構むずかしいって思いません?

それはそうですよね~

すべての人に 響く作品なんて
ぜったいに無理なキガスル。。。

たぶん、芸術とゆうのは
人にこう思われたい と ゆうよりも
「自分はこうかんじてるんだ。だから これをつくったんだ」
みたいな 感覚なのでしょうか・・・

自己主張とゆうか、
表現がグロいかもしれませんが、

「そのアーティストの魂からの吐シャ物」

とゆうようなかんじがします。

しかし、このジェフリーさんはすごい。
興味をもってしまったので、
いろいろと調べてみまーす 笑
Posted by みろく at 2007年08月04日 00:28
ちょっと難しくなってきましたね。
でも面白いので、少し続けてみます。

私は今回、幸運にも一つ目の作品をつくることが出来ましたが、
全ての人に届け、と思った事は正直ありません。
(あれ?これって変?)
その意味で私は「芸術家」ではないのかもしれませんね。
また、魂の叫びがないと言えば嘘かもしれませんが、
それを「込めた」つもりもない。
(それで作品って言える?)

何かを作った結果、色々な意見や感想が引き出せるものにしたい、
といったところでしょうか。

もちろんそれは「建築」だからということではありません。
別の物をデザインする機会が与えられても
たぶん私は同じだろうなぁと、ぼんやり思います。

また、作品は必然的に色々なものに左右される。
時代や文化、制度、社会、経済、環境、などなど。
その中に「私」(作り手)も含まれるんだろうなぁ、と思うけれど、
それは沢山ある要因の一つでしかない。
そんなふうに考えています。
まぁ逆に、時代や文化や、その他もろもろの固まりが
「私」なんでしょうから当然といえば当然かも。

あ、でもちゃんと、息をとめて引き金を引く時はあるんですよ。
特にコンセプトの模型を作る時なんかは。
でもそこに大きなウェイトを置いてないと言う感じでしょうか。

なんか一生懸命、自分の事を書いてしまいましたね。
てへへ。

でも自分を見直すいい機会になりました。
ありがとうございます。
またコメント入れて下さいね!

ではでは。
Posted by +0 atelier at 2007年08月04日 12:25
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。