京つう

住まい・建築  |右京区

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2007年09月02日

たとえ話

ある農夫が、はだしで街へやってきた。
彼は沢山のお金が手に入ったので、靴下も靴も買うことができた。
それでもお金が沢山あったので、心ゆくまでお酒をのんだが泥酔し、
道の真ん中で眠ってしまう。
そこへ通りかかる馬車。
「そこをどかないと、おまえの足をひいて通るぞ」
と、馬車の男が叫ぶ。
泥酔した農夫はおもむろに自分の足を見るが、靴下と靴のせいで、
それが自分の足とは気付かずにこう言った。
「通れ、通れ、これはおれの足じゃない」

このお話、「飲み過ぎに注意」とか「慣れない事をするな」なんてなまやさしい
たとえ話ではありません。

これはキルケゴール著「死に至る病」に出てくるたとえ話。
なーんだ、やっぱり飲み過ぎで死ぬんだぁ、なんて思ったあなた、
いえいえ、話はそんなにぬるくないみたいですよ。

キルケゴールによると「死に至る病」とは「絶望」だそうです。
そしてこのお話は、自分自身を知らず、いかなる自己をも持たない人が「絶望」し、
あげくもっと別の人になりたいと欲する「最低のパターン」(!?)の人を例えたもの。

自分の持っている自己というものを外面性だけで認識してるがゆえに、
上着を取り替えるかのごとく別の人になれると思い込んでいる。
しかし、新しい自分を新調しても、彼は外面性をみるだけで、
自分を見分ける事ができない、そんなふうなことでした。

ただひたすらに「絶望」について考察している絶望的なこの本。
絶望しすぎた時に笑える人にはおすすめします(?)。

(近江舞子にて。)
たとえ話



Posted by +0 atelier at 18:30│Comments(0)
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