最後の庭
「世界が静止して人間がいなくなったら、
この花を植えたのが、花なのか、鳥なのか、だれにもわからない」
(「メディウムとしての庭」伊藤俊治より、デレク・ジャーマンの言葉)
デレク・ジャーマンは、同性愛、エイズ、暴力などをテーマとする映画監督。
最後の映画として
「BLUE」が有名なようですが、本当の遺作は映画ではなく、
原子力発電所に面した漁師小屋のかたわらにつくりあげた庭だそうです。
ジャーマン自身もエイズで亡くなってしまうのですが、
HIV感染が判明した1986年から8年間という長い時間をかけて庭をつくります。
原子力発電所からの放射能を蓄積した植物や、
核で汚染された荒地を丹念に手入れし、
いつくしみ、新しい花を移植し、
流木や拾い集めた廃品でオブジェを配して、
息を飲むほど美しい庭をつくりあげた、
そんなふうなことでした。
どんなことを考えていたんでしょうね。
死のまぎわ、病院から抜け出し、土や石を入れかえ、
水をまき、種をまき、安心したように病院へ帰っていったそうです。
「世界が静止して人間がいなくなったら、
この花を植えたのが、花なのか、鳥なのか、だれにもわからない」
この言葉に込められたものが、
深い悲しみだったのか、それとも、ひとすじの光だったのか。
うまく考えがまとまりません。