不在で。
大切なことは会って話しますか?
いや、大切なことだからこそ手紙に残しますか?
「声のコミュニケーションというのは話し手と聞き手の両方が
現前しているわけですけど、文字のコミュニケーションというのは
どちらかが不在なわけでしょう?」
ある座談会での哲学者の言葉ですが、
書いているときは読者が不在だし、読んでいる時は著者が不在。
言われてみればあたりまえなのですが、
そういう意識ってあまりないから不思議ですね。
どちらかが不在ならやっぱりあって話す方がいい、ともとれますが、
いや不在だからこそ書かれたものに権威がうまれるともいえる。
書籍はもとより、今では手紙なんかもめずらしいですからね。
もちろん書かれたものにもよります。
一方で、こんな話もありました。
19世紀までは数学の論文なんかも立派な序文がついていて、
それを読めば一般の人もわかったらしいですけど、
最近は5行くらいで本文もコンパクト。
だから逆にあって話すことも必要になるとか、
そんなふうなことでした。
まぁ、単純にビジネスとプライベートでも違ってきそうですけど、
私は基本的には会って話さないとって考える方ですね。
古いかな(笑)。
今はメールの時代。
印刷物が出来てコミュニケーションの形が変わった様に、
メールができてまた形も変わっているのでしょう。
でもメールに権威が感じられない(笑)ってことは
どんなふうになっているのですかねぇ。