京つう

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2008年11月11日

領域

「真理の保証は直接性にある。」
  (ユリイカvol.35-7「文字と貨幣」今村仁司より)

言葉(発話)と文字を比べたとき、文字は発話を物質的なものに
移転したものだから価値的には発話が上位で文字が下位だそうです。

たしかに何かを書くときも、まずは頭の中で声が出て、
次にそれを文字にしますもんね。

「なによりもまずひとは自分にむかって語る。
 それはもっとも直接的であるがゆえに『真実である』。
 なぜなら、語る私と聞く私の間に介入して伝達を妨害するものは
 そこにはないからである。」

文字は「生きている」発話から排除された「死せる」領域である、
とかそんなふうなことでした。

うーん、じゃあブログもメールも文字だから「死せる」領域?
なんちゃって(笑)。

いや待てよ。
「誰でもよかった」という秋葉原の事件、
本当に真実だというのなら、自分に向けたものだったりして。

「こんなことをするのはたまたま自分で、誰でもよかった。」

あかん。これでは考えただけで恐ろしい世の中ってことに。
観念なき暴力はないそうですが、理由にもなりませんもんね(笑)。

ブログやメールが「死せる」領域なんてくだらない想像するから
だめなんですね。

いやいや、意外と暗示的?(笑)

(photo by jam.jam)



Posted by +0 atelier at 18:30│Comments(2)
この記事へのコメント
うーん・・・。なるほど、そういう捉え方もあるんですね。
>「こんなことをするのはたまたま自分で、誰でもよかった。」
こういう捉え方をもっと極端にして、あの事件の犯人を神格化(?)したりしてるのかな?一部の人たちは。ホント、怖いですね。

言葉っていうのも意識を固定して発露させる訳ですから、死せる領域的部分もあると思うんですが・・・。ただ、対話の中での言葉っていうのは発展途上でもあるわけで、そういう意味で生きている領域なんですかね。

ブログやメールもコミュニケーションツールとしての度合いが濃ければ死せる領域とは言い切れないような気がしますね。対話の中での発展があるなら生きてる領域と言えるかな、そんなふうなことを思いました。

まー、メールのre:、re:、re:、re:、re:、re:、reはうんざりなので、メールやブログは8割死くらいで良いかとか思います。

あっ、ところで、まんざらさんのリンクはそろそろ外して頂いても良いかと思います。私はご協力いただいた皆様のリンクが全て外れたら外そうかと思っておりますが。
Posted by のり at 2008年11月25日 01:50
のりさんごぶさたしております。
まんざらさんのリンク、外しましたよ。
ありがとうございました。

>「こんなことをするのはたまたま自分で、誰でもよかった。」
については「アキハバラ発」(岩波書店)に出ていました。
私もなるほどと思った一人です(笑)。
20人程の論者の短文をあつめた内容で、それぞれの主張が
まあまあバラけていて参考になるというか、おもしろかったですよ。

ではでは。
Posted by +0 atelier at 2008年11月27日 10:23
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