京つう

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2007年08月11日

モニター

今こうしている間にも、モニター画面が消えそうです。

数ヶ月前から、パチンパチンと画面が消えては付くという症状が
始まっているのですが、最近はそれが激しい。
何しろ学生の時初めて買ったパソコン用の17インチモニター。
かれこれ15年ほど使っているのですが、パチンと音をたてる度に、
このまま画面が爆発したら、顔面血まみれになるのだろうかと、
ありもしない、そんなふうなことでビクビクしています。(ホント臆病です。)

で、私は基本的に霊的なものは一切信じないのですが、
今回はそれがもとで私の身に起きた、世にも怖ーいお話。

その日の深夜、12時ごろ、
例によって画面が激しく付いては消え、付いては消え、を繰り返し始めました。
集中していたせいもあり、アトリエの電気を付けるのを忘れていて、あたりは真っ暗。
暗闇のせいか、とたんに怖くなりました。

パチン、・・・パチン、・・・パチン、パチン。

だんだん間隔が短くなる。
初めからいやーな予感はしていました。
なんだか蒸し暑いし、やたらと体がだるい。
この時からすでに脈拍が上がって、緊張しているのを自覚します。
でもおかまいなしに、どんどん間隔が短くなる。

パチン、パチン、パチンパチンパチンパチンパチンパチン・・・。

わかっていても目が離せない。
すると消えてから付く瞬間になにやら輪郭が浮かび始めました。

「え?」

始めはよくわかりませんでしたが、だんだんと、それは人の顔の様に見えてくる。

異常な恐怖を感じ、血の気が引く。

こっちを見てる?。

パチンパチンはさらにひどくなる。

パチパチパチパチパチパチパチパチ・・・。

どんどん輪郭がはっきりする。
体が動かない。
たしかに人の顔。男の人。
髪は短めで、若そうだけど、顔がどんより曇っていてはっきりとしない。
けれど、たしかにこっちを見つめている。

気を失いそうな恐怖と一緒に、その男の人と目が合いそうになった瞬間、
バチッと消えたモニターに、男の人の肩から上がはっきりと見えました。

イスから転げ落ちそうになり、声にならない声を出そうとしたのも束の間、
しかしよく見ると、なんのことはない、
それはモニターに映った自分の顔なのでした。


てへ。少しは涼しくなりました?
いやー、ちょっぴり脚色しちゃったけど、あれほど自分の顔に
驚いたのは生まれて初めてなのでしたー。チャンチャン。

(これがその「恐怖のモニター」(?!)です。)
  


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2007年08月10日

火星へ

昨日の朝、スペースシャトルが打ち上げられたみたいですね。
日本時間で朝7時36分だそうです。(CNN)

初めの頃は、シャトルの打ち上げといったら毎回中継してましたけど、
最近は知らない間に飛んでますね。

宇宙への往復便がニュースにもならない時代ってなんかすごい。

1969年にアポロ11号が月面に着陸したことになってますけど、
もう誰も行かないんですかね?
あれから38年たってる訳ですけど、月ってあんまり魅力的じゃないのかな?

あれはヤラセだったなんて証拠が溢れてますけど、
「有人宇宙飛行」を扱った二つの映画、「ライトスタッフ」と「アポロ13」では
描いているものが正反対とか、そんなふうなことを言ったのは誰でしたっけ?

1983年、映画「ライトスタッフ」が描いたのは「地球を飛び出して宇宙へ行こう!」。
その12年後に作られた映画「アポロ13」は「なんとか青い地球へ帰ろう!」というもの。

たった12年でこうも変わるもんですかね。

一方NASAは、月の次は火星だなんて言ってます。
本当に行けたらすごいね。

でもその前に、1977年の映画「カプリコン1」を観ておきましょう。
私の好きな映画の一つ。火星への有人宇宙飛行を扱った映画です。

これを観たら月面着陸がヤラセだったって、信じてしまうかも?

(でもね、人類は月へ行ったってことでいいんじゃないの?)
  


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2007年08月09日

発明事故

「新しい技術が生まれる度に、新しい事故が生まれる。」

そんなふうなことを言ったのは誰でしたっけ?
ちゃんと書こうと家の本を探しましたけど出てこなかったので
うろ覚えのまま書いてしまいました。

どういうことかと言いますと、
車が発明され、それまでなかった悲惨な「交通事故」が生まれた。
飛行機が発明され、「墜落事故」が生まれた。

なるほど。何でもあてはまりそうですね。

パソコンが発明され、大量の情報が消える事故が生まれた。

昔は何でも紙に書いて、何かしら残ってたもんですけど、今はパッと消えますね。

外科手術の技術が進歩する一方で、「医療事故」が生まれた。

祈るしか出来なかった頃と比べれば平均寿命は比較にならないわけですけど、
たしかに「医療事故」なんてない時代があったということですね。

もう少し込み入った例えを探してみましょうか。

原子力をエネルギーにかえる技術が発明され、放射能が「漏れる」という事故が生まれた。

ミサイルや爆弾が降ってこないかぎり考えることのなかったことが、
今や身近な「事故」ですね。

精密誘導爆弾が発明され、「誤爆」が生まれた。

この辺になるとなんだかよくわからなくなりますね。
ニュースで「誤爆」なんて聞くと、一瞬「しょうがないなぁ」なんて
ムードになりますけど、いやいや、そこはしっかりしないとねぇ。

事故ではすみません。

なんでも発明して、なんでも使うことには賛成(あ、反対したいのもある!)しますけど、
同じ数だけ思いもよらない「事故」が生まれるなんて聞くとちょっと怖いですね。

最後にもう一つ。

選挙で代表を選ぶという発明がされ、「続投」が生まれた。

これって事故ですか?なんてね。

(あ、冗談ですよ、冗談。意味はないので軽ーく笑って、ね。)



  


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2007年08月08日

ひぐらし

昨日の夕方。
家の裏からひぐらしの声が聞こえてきました。

今の家に越して来た時、ひぐらしなんかが聞こえてきたら最高やな、
などと話していたのですが、ほんの少しですけど、
実際に聞く事ができて結構幸せな時間でした。

私は、子どものころから大学の2回生あたりまで、
毎年キャンプに行く団体に所属していたことがあります。

今、その団体はNPO法人になってるらしいですけど、
「未来に生きる全ての子どもたちに、夢と希望、愛と勇気を。」
たしか、そんなスローガンのもと、定期的に演劇を観たり、
各地域で校区をこえた子どもたち同士で遊ぶ機会を設けたりする団体で、
(あ、宗教とか、そういうんじゃないですよ)
毎年、夏の一大イベントが、さっきのキャンプでした。

学校で、学年ごとの横割りクラス編成がされる一方、
「異年齢縦割り集団」に価値を置き、そのキャンプでは
小4から大学生までをごちゃまぜにした7〜8人で一つの「班」を構成していました。
その班では、キャンプの当日まで、近くの公園に集まって遊んだり、
当日の献立を決めたり、だれがお鍋を持ってくる?とか相談したり。

団体は、当時どんどんと豊かになっていく社会にも、ある種の危機感を感じ、
キャンプ場は整備の行き届いた「キャンプ場」ではなく、山と川以外に「何もない」
場所を選んでの3泊4日でした。(もちろんバックアップ体制は整えます)

中学生が小4の子と並んで野菜を切ったり、高校生のお兄さんが6年生に
かまどの火のおこしかたを得意げに伝授したり。
私も小4の時は小4なりに、学生の時は学生なりにそのキャンプに参加していました。
ですから今でも、かまどに火をおこすことにはちょっと自信があります。なんてね。

そこで必ず聞いたのが、夕方、ひぐらしの声。

かまどに火がつかず、夕飯がまだ出来ていない時はせつなく、
首尾よくありつけた時はすがすがしく、
いづれにせよ、そんなこととは無関係に、ひぐらしは一日の終わりを告げるのでした。

(夕焼け。直島にて)
  


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2007年08月07日

ギャオス

関空の第二滑走路が出来たってニュース、いつでしたっけ?

発着回数をもっともっと増やさないと補助(?)が出ないから、
これからが勝負、みたいなこと言ってましたね。

でもね、今日はそんなことはちょっと脇に置いて、
あのニュースを見るまで忘れていた思い出があったなぁという話。

実は私、関空にはちょっとした思い出があります。
学生の頃、先生に呼ばれてアルバイトするか?と訪ねられ、はいと答え、
行った先が「レンゾ・ピアノ ビルディングワークショップ ジャパン」。

建築に詳しい人は「え?あのレンゾ・ピアノ?」と思われるのでは?
建築に興味のない人は「関空にピアノなんて置いてあったかしら?」といった感じ?

レンゾ・ピアノとはイタリアの建築家で、あの関空のターミナルをデザインした人です。

で、学生の私がしたことは、あのターミナルの模型作成のちょっとしたお手伝い。
まぁ、雑用ですね。(とはいえ、得るものは大きかったです。)

事務所に行くと、スタッフの方が忙しそうに仕事をしている中、
真ん中あたりに、あのターミナルのでっかい模型が置かれていて、
それだけでちょっと興奮。

当時純粋だった(?)私は、その模型の中に配置する小指ほどの大きさのイスやら
照明、手摺なんかを沢山作っては並べてくっつけていました。
なかでも「オープンエアダクト」といって、まぁ空調の吹き出し口なんですが、
それが流線型にデザインされていて、それをスチロールで削り出したりもしました。

で、面白かったのは、図面もろくに読めない学生の私に、その「オープンエアダクト」の
形を、原理や理論もいっしょに丁寧に教えていただいた時のこと。
その方が最後に、とっても上品に言われた言葉。

「ほら、ギャオスの頭に、・・・似てるよね。」

緊張する私を少しでも和まそうと、気を使っていただいた言葉でした。

その方は後でとっても偉い人だとわかって、またびっくりするのですが、
あのアルバイトの後、何年もたってから初めて実際の関空に行きました。

模型でくっつけた通りのイスや、照明や手摺に囲まれて、
自分が模型の中にいるみたい。
ミョーに幸せだったのを覚えています。

そしてその巨大なオープンエアダクトを見上げるたびに、
ギャオスの頭を思い出すのでした。

って、あれ?ギャオスをご存知ない?
男はみんな知ってますよね。

ギャオスとは、ウルトラマンシリーズを代表する怪獣です。

(photo by うるめもどき)
  


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2007年08月06日

うわさ

昔、グローバルとローカルについて
インターネットを絡めた議論がよくされていましたね。

物理的には国境をこえて同じ土俵につながっているんだけれども、
そのネットワークを介してされているやり取りは、特定の地域や国の中の人同士
ってことも多い。

また、そのやりとりが瞬時にされるもんだから、その数人同士の
結びつきはどんどん強くなる(つまりローカルの度合いを増す)とか、
そんなふうなことです。

良いとか悪いとかは別にして、
直感的に(というか物理的にも)グローバルという言葉と結びつく「ネットの世界」。
一方で、言葉や、文化や、時差などなどの垣根がつくる無数のローカルコミュニティー。
この二つのギャップがなんだか面白かったんですかね。

さらに、交わされる内容の質が上がれば上がる程ローカル化せずにはいられないとか。

だって、例えば一日に200ぐらいのアクセスでコメントされた時には
込み入った話なんか無理ですもんね。

で、このような話とは別に、
2001年、ル・モンドの編集部の人が面白いことを言っている。

「うわさとは、瞬間コミュニケーション社会に生存するのに
 最も適した創造物。」

だそうです。
つまり、インターネットのような、瞬間に世界を駆け巡るようなインフラには
「うわさ」というフォーマットはぴったりで、なくならない、ということでしょうか。

「真実と伝達の間には何の相関関係もない。」

つまり、「本当」か「うそ」かと関係なくどんどん広がる。
そうです、議論する余地なくひたすらにひろがる。

でもこれってなるほどーなんて感心してられませんよ。
世界中で共有しやすいのは、愛でも平和でもなく、「うわさ」ってこと?

そんなのねぇ・・・。

  


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2007年08月05日

もう夕方?

少し仕事に区切りがついた日、ひさびさにのんびりしてみました。

お昼にそうめんを食べ、ビールを飲みながらウトウト。
すると、猫が側に来て一緒になって寝始める。
「おー、よしよし、そうかそうか、うるめちゃんも寝るんか。よしよし。」
セミの声、青空。通り雨が来て、また晴れる。涼しい風。

「うおー、これぞ幸せのしごくでございまするー。」

そんな中、ある言葉を思い出す。

「神に類似するまでになりながら、今日の人間は自分を幸福だと思っていない」

うーん、どうしてこんな言葉が出てくるんだろう。
誰の言葉かはあとにして、
神にはとうていおよばない私がこんなに幸せなのはなぜ?
しばし沈黙。
そしてピーンと来た!

あ、そっか。今、オレ、思考停止やったんや!

そう思ったのも束の間、再起動することもなく、夕方まで眠り続けたのでした。

「幸福」と「思考停止」は似て非なる物。
先ほどの言葉は1930年のフロイトでした。

(たしかシンガポールで撮ったもの。柵がヘビでした。)
  


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2007年08月04日

キル・ビル

昨日ラジオで言ってましたけど、
キル・ビルの続編ができる「らしい」ですね。

なんか第3話と4話をつくることは決まってるけど、
いつなのかわからなかったのが、
動きが出て来たとか、そんなふうなことでした。
(運転中に聞いたものですからちゃんと聞けなかったんですけど・・・。)

皆さん興味ありますか?
私はタランティーノのファンということもあり、興味大有りです。
なんかいいじゃないですか、タランティーノ。最高ですよ。

でもこれまた好き嫌いが激しいみたい。
特に女性の方には「えー、どこがー?おもしろいー?」とさんざん。

でも女性の皆さん、「オニツカタイガー」には興味ありじゃない?

キル・ビルなんか見ないと言うあなた、
どうしてここで「オニツカタイガー」なの?
と思われていることでしょう。

そうです。この映画の主人公、ユマ・サーマンが
クールに履きこなしているのが「オニツカタイガー」。

今、サンフランシスコのティーンの女の子の間で、
めちゃ流行ってるらしいですね。
ついこの前も、親しい人がオニツカをメチャ買いして
アメリカへ帰っていきました。
自慢するそうです。
「あ、それ日本で買ったの?いいなぁー。」
なんてうらやましがられるそうです。

でもね、買ったもの中にはカタカナで「オニツカタイガー」と
書かれたバックもあり、
うーん、アメリカではこれがハイセンスなのか、
と目をうたがってしまいました。

私はファッションには疎いのですが、日本ではどうなんですか?

その人は私に、
「木屋町三条、TIME'Sビルのriver levelに入ってるの知らないの?」と、
宇宙人に遭遇したかの様な目で聞き、しかたがないので、
「シッテルハズガナイ」
と返しておきました。

なんて言いながら、今度買いに行こうかなぁ。

(photo by うるめもどき)
  


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2007年08月03日

タイにて。

以前勤めていた設計事務所で、
タイへ研修旅行に連れていっていただいたことがある。

写真を整理していると、その研修旅行でアユタヤ遺跡へ行ったあとに
バスの中で書きとめたメモが出て来た。

「アユタヤ遺跡は意外と力強いが、仏像の首は全て切られて売られてしまっている。
 ガイドが、タイ人は新しいものが好きです、と説明していたが、
 それでは全てを語れない様な悲しい風景。
 首を失った仏像はアユタヤにぽっかりと空白をうみだしている。
 レンガ色と雑草、小さな花とあるじを失った塔。首のない仏像、
 スプリンクラー、のら犬、これらを芝生と石畳で包み込み、結果、
 なぜか美しい。11月17日 3:25 車中にて」

目に入ってくるものは悲しいものの方が多かったのですが、
なぜか美しいと感じてしまった、不思議な体験でした。

このメモが出て来て、なぜ美しいと思ったのか、しばらく考えてみたのですが、
意外と不思議でもないようなことかもしれない。

例えば、抽象画なんかを見たとき、モチーフに悲しみが背負わされていても、
その絵自体は美しい、というのはむしろ普通かもしれない。
もっと単純な例えでは、きれいで大好きな歌は、気付かなかったけど
悲しいメロディーで、悲しい歌詞だったといった具合。

悲しみを脇に置くのではなく、通り抜けて、何か「別のもの」になってしまった感じ、
そんなふうなことでしょうか。

人ってフクザツ。いや単純なのかな?

  


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2007年08月02日

建築家は?

デュシャンが「作品には絶対的なアイデンティティが存在しない」ことを
明らかにしたとして、メディアアーティストのジェフリー・ショーは
インタラクティブアートについて語っています。

「芸術作品とは、個々人が個々の瞬間につくり出すものでしかない。」

ここでいう「個人」とは鑑賞者のこと。
つまり、作品はそれを見る人の中で生まれるものであり、決してその作品が
何か特別な物を含んでいるのではないという、そんなふうなこと。

あらゆるアートがそうだとことわった上で、なかでもインタラクティブアートは
常にユーザーによって表現され、それはユーザーの欲望と行動に規定されるところが
面白いという。

なるほど。1917年の「泉」から何十年もたって、新しい技術がそれをまた違う形で
表しているということでしょうか。

インタラクティブアートを音楽に例えてこんな風にも言ってます。

「音楽に似ているとも言えるでしょう。作品は演奏されなければならない。
 それは演奏されるごとに束の間の生をもつのです。」(「科学と芸術の対話」より)

建築はここでいう「インタラクティブ」がことさら「強調」される世界ではありません。
でもせっかくだからということで、少し意味は変わりますが、あえて例えてみます。

楽譜が設計図、楽団が職人さん、指揮者は工務店の現場監督さんで、
観客がその建物に訪れる人、なんてね。

あれ?建築家が表に出て来てませんね。
でもそうでしょう。建築家は思いを全て楽譜に託すんですから。
(あ、けど、ちゃんと演奏されてるかは確認するんですよ。これを現場「監理」といいます。)

(この作品の作者が出てこない!ここまで出かかってるのに!)
  


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2007年08月01日

ゆず

何年か前の話。

テレビで「ゆず」が「夏色」を歌っていた時のこと。

「駐車場の猫は〜あくびをしながら〜」

と何気なく、一緒になって口ずさんでいました。
すると、曲が進み、サビを聞いた妻が、なぜかいぶかしげな顔をする。

私も熱狂的なファンではないが「何?」と聞いてみた。すると、

「ブレーキいっぱい握りしめて、ゆっくりゆっくり下ってくってどう思う?」
「どう思うって、うしろに彼女載せてんのやから、まあええのと違うの」
「いや若いのに「ブレーキかけてゆっくり下る」ってどうなん?」
「・・・。」
「この子らまだ若いねんからせめて「こいで登る」とか「手放しでどーっと下りる」とか、
 そういうことなんと違うの?」
「・・・。」
「私ら高校の時、坂道なんか絶対ブレーキかけへんかったわ。前ブレーキ壊れてたもん。」

そんなふうなことは考えてもみなかった。
自慢げな妻は「おしい!」とテレビにツッコミをいれている。

先日、そんな妻がビブレのバーゲンセールのポスターを見てなにやらニヤニヤしている。
どうしてかとポスターを見るとそこにはこう書かれていた。

「ブレーキが壊れる日」

素敵なキャッチコピーでした。

(本記事は決してゆずを否定するものではありません。もし、そう読まれても、それは
 本意ではなく、今も口ずさむ「夏色」の楽しいエピソード以外の何物でもありません!)
  


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